早稲田実・清宮幸太郎が描くプロの姿 決断の理由は「より野球に集中するため」

清水岳志

お昼休みの会見に報道陣130人

進路が注目されていた早稲田実・清宮は130人の報道陣の前にプロ志望届を出すことを発表 【写真は共同】

「私、清宮幸太郎はプロ野球志望届を提出することに決めました。目の前の目標や、手の届く夢をかなえることに幸せを感じてきました。小さいころは試合に出る喜び、ライバルとの対決に勝つ喜び、負ける悔しさを学ぶ普通の野球少年でした。しかし、歳を重ねるうちにひとつずつ夢のステージが上がっていくことを実感し、早実野球部3年間で次の大きな夢に挑戦するべきだと確信にいたりました。プロの世界の厳しさは十分理解しているつもりですが、より高いレベルに身を置き、鍛錬し努力することで、目の前の目標を一つ一つクリアしていきたいと思っています。以上よろしくお願いします」

 腕まくりをした白ワイシャツに白の上履き。ユニホーム姿の時とは違って、こういうときは大きく見えないから不思議だ。いつもは、「緊張はしなかったです」というのに、表情は硬かった。

 冒頭、上記のような文言をペーパーを置いていたかもしれないが、つまりもせず言い切った。9月22日、早稲田実の構内、400人を収容するという「小室哲哉記念ホール」で学校の昼休み、早稲田実・清宮幸太郎が進路に関する記者会見を行った。30社、報道陣の数は130人集ったという。

プロ入りの決断は自分の意志

高校通算最多記録となる111本塁打を記録。甲子園は高校1年夏、高校3年春と2回経験し、U−18侍ジャパンも1年と3年で代表入り。1年から世代を代表するスラッガーとして活躍した 【写真は共同】

 U−18ワールドカップが行われていたカナダから帰国したのが12日。帰国したときの会見で、「進路はまだ、決まってません」。

 それから10日後。「プロ入りを決断したとみられる」と書いたスポーツ紙もあったし、「大学を勧めています」という関係者のコメントを掲載した雑誌もあった。関係者もメディアもプロ野球関係者もやきもきしながら時間をやり過ごしていたことだろう。

「すっきりしたか?」と聞かれて、「すっきりもしましたが、これから厳しい世界に行くので、緊張感もある」と口にした。

 決断したのは「カナダから帰ってきてすぐ」だったという。和泉実監督も「決断を伝えられたのは数日前。でも、本人は早い段階から気持ちは固まっていたんでしょうね」と語る。

 確かに、本人の中では実は早くに腹は決まっていたように思えてくる。

「誰かに相談するというのもなかったです。両親には自分の選んだ道を応援すると言われていたので。父の影響も特にないです」

 大学ではなくて、プロにした理由は?

「夢はプロ野球選手になることで変わっていない。より野球に集中できる環境を選びました」

「夢であるプロ野球選手になることは何も変わってない」

 伝わってきたのは原点通りの選択をした、意志は曲がっていないということだ。

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著者プロフィール

1963年、長野県生まれ。ベースボール・マガジン社を退社後、週刊誌の記者を経てフリーに。「ホームラン」「読む野球」などに寄稿。野球を中心にスポーツの取材に携わる。

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