互いに高め合うDeNA桑原と柴田 1・2番コンビがチームをけん引

日比野恭三

励みとなった筒香の言葉

桑原とともにお互いを高めあってきた柴田(右) 【(C)YDB】

 2人はともに1993年生まれの同学年。桑原から遅れること4年、柴田が岡山理大付高から国学院大を経て2016年に入団したことで、遠慮なく野球論を交わせる仲になった。

 少年時代、投手も務めていた柴田は中学時の試合で浴びたサヨナラ弾をきっかけに内野手の専任となった。いま、プロでも定評のある守備力はどのように培われたのか。柴田は、その原点は間違いなく大学時代にあると言う。

「大学に入ると、やっぱり打球の速さも違いますし、自分の基礎力のなさを知りました。試合で打球を弾いてしまって、焦って捕りに行った結果、指を突いて骨折したこともあります。そのころ、やっていたのは本当に当たり前のことばかり。手でボールを転がして、足を運んで捕って……。当たり前のことを当たり前にできるぐらいまで、基礎の積み重ねをずっとやっていました」

 プロの門をくぐると、またしても壁にぶつかる。

 ルーキーイヤーの昨シーズンは開幕戦でタイムリーを放つ活躍を見せたものの好調は長続きせず、5月の初めにはファーム行きを命じられた。

 攻守にわたって実力不足を痛感していた柴田の励みとなったもの。それは筒香嘉智の言葉だった。

「いつでも連絡してこいと言われていたので、何度か連絡をしました。その時に、『周りのせいにするのは簡単だけど、場所や環境は関係ない。やる人はやるし、やらない人はやらない。腐らずにやれ』と。そう言われて、自分に責任をもってやろうと思いました。このままだと今年で終わる、オフシーズンは気持ちを入れ替えてやろうと」

 身長167センチと小柄な柴田は、打力向上のため、徹底した体力強化に乗り出す。17年のキャンプインの時点で、昨シーズン終了時から体重は5キロほども増えた。そのほとんどが筋肉量の増加によるものだったという。

悩みを吹っ切った桑原の助言

 出番に恵まれるようになるのは、右脇腹の故障から復帰した7月中旬以降のことだ。左足のハムストリングを痛めて抹消となった石川雄洋と入れ替わるように昇格すると、主に相手投手が右腕の試合で「2番・セカンド」としてスタメンに名を連ねた。

 打席では鋭い打球を多く飛ばし、鍛錬の成果が表れているかに見えた。だが本人は、出場機会が増すごとに悩みも深めていた。

「打席に多く立たせてもらうようになってから、逆にいろいろと考えすぎてしまって。真っすぐ、変化球、どっちだ? みたいになったり……。それでクワ(桑原)に『どんな感じで打席に立ってる?』と聞いたら『割り切りが必要かな』って」

 柴田の心に響いた助言は、桑原自身の経験から生まれたものだった。桑原が言う。

「いまの柴田の状況は、結果を残し続けなきゃいけないというプレッシャーをすごく感じてると思う。だからこそ、思いきった割り切りをしないと、何か一つ消さないと、結果を出すのは難しいんじゃないかと言いました。それは今年、ぼく自身が感じたことでもあったので」

 8月13日の阪神戦。3対1の2点リードで迎えた4回に、桑原は持ち前の積極的な打撃で三塁打を放った。続いて打席に入った柴田も負けじと2球目に食らいつき、しぶとくレフト前に弾き返して貴重な追加点を奪った。「当たりは悪くてもヒットはヒット。そこを求めてやっていきたい」と語っていたとおりの一打だった。

 7月21日に24歳となった桑原は、「一つのプレーがきっかけで落ち込みそうになる時も、あいつのプレーを見てたら、自分もハツラツとプレーしたいなって気持ちになる」と語り、柴田の懸命な姿に力を得ている。

 12月16日に24歳の誕生日を迎える柴田は、「やっぱりガッツ。どんな時もあきらめない姿勢は見習いたい」と、桑原に刺激を受けている。

 体は決して大きくなくとも、努力に努力を重ねていまに至った1・2番コンビは、試合中のベンチでも隣に座って思ったことを率直にぶつけ合う。互いを高め合うこと。それが、すなわちチームの上昇へとつながっていく。

(取材協力:横浜DeNAベイスターズ)

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著者プロフィール

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。

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