“史上最大の下克上”から7年――元ロッテ・金泰均の今

室井昌也

バッティングセンターに通った日々

2010年から2年間、ロッテに在籍した金泰均。10年にはチームトップの21本塁打を放ち、ロッテの日本一に大きく貢献した 【写真は共同】

 金泰均は連続試合出塁が続いていた4月23日の試合で、走塁時に右太ももの裏を故障。約2週間エントリーを外れ、日本のプロ選手も通う横浜の治療院で回復に努めた。その間、当地でともに治療を行った外野手の李性烈は金泰均のひたむきな姿に、深く感銘を受けたという。

「朝、治療をしてウエイトトレーニングをした後、(金)泰均兄さんの提案で昼過ぎから一緒にバッティングセンターに通いました。最初は2ゲーム(1ゲーム24球)だったのが、2日目には3ゲーム、3日目からは“1日1000円(96球)までやろう”と2週間の滞在中、10日は行きました。横浜では泰均兄さんがいろいろと気に掛けてくれたおかげで、僕の野球に取り組む意識が変わりました。それは今の成績(打率3割4分9厘。規定打席未満/9本塁打、25打点)にもつながっています」

 金泰均と李性烈が通ったのは、金玲瓏通訳がネット検索で探した横浜市緑区の中山バッティングセンター。このバッティングセンターは軟球と硬球が選べ、軟球は球速150キロまで出るもののプロ向けの施設ではない。同店のオーナーに金泰均が訪れたことを伝えると、「プロ野球選手が練習に来たという話はこれまで聞いたことがない」と驚きを口にする程だった。

 金泰均はバッティングセンターに通ったことについて、「ただボールに目を慣らしただけ」と話し、技術的な成果を上げるためではなかった。しかし離脱中も気持ちを切らさなかった金泰均は復帰後、ブランクを感じさせることなく連続出塁を続け、チームを引っ張った。

ノーステップ打法は変わらず

 この7年で「個からチーム」へと考え方が変わった金泰均。しかし当時と今で変わらないことがある。それは打者としてボールをとらえる感覚だ。「いつもボールを長く見るために、ヘソの前で打とうと思っています。実際にヘソの前で打つとファウルになってしまいますが、常にその意識を持っています」。広いスタンスで構え、左足のつま先を切り返してタイミングを取る、独特のノーステップ打法も大きく変わっていない。

 現在、ハンファは10球団中の8位。5月には監督が途中辞任している。長らく低迷しているハンファが優勝したのは99年の1度だけ。ポストシーズン進出にも9シーズン遠ざかっている。金泰均にとってプロ唯一の優勝経験が10年の「史上最大の下剋上」だった。

 当時のロッテ優勝メンバーで今の金泰均と同じ35歳だったのが、先日、今季限りでの現役引退を表明した井口資仁だ。金泰均は今の自身同様にチームをけん引していた井口にこんなはなむけの言葉を送った。

「長い間苦労を重ねた結果、しっかりと成績を残して優勝も経験しているので、充実した野球人生を送ったのではないかと思います。いい指導者になって欲しいです」

 韓国・KBOリーグは5位までに入れば、ポストシーズン進出の権利が得られる。今年はハンファに下剋上の機会は訪れるか。現在、打率3割5分(リーグ5位/8本塁打、48打点)を残している金泰均はその時が来ることを信じ、日々、早出特打ちを志願している(記録は6月25日現在)。

2/2ページ

著者プロフィール

1972年東京生まれ。「韓国プロ野球の伝え手」として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。また編著書『沖縄の路線バス おでかけガイドブック』は2023年4月に「第9回沖縄書店大賞・沖縄部門大賞」を受賞した。ストライク・ゾーン代表。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント