【陸上長距離】“世界”を経験し「考え方が変わった」 東海大・關颯人&阪口竜平の米国武者修行
インドア大会で感じたラスト勝負への意識の差
米国ではいくつかのレースに参加。レースの組み立て方も海外の選手は勝負に徹していた 【写真提供:關颯人】
阪口 実際に走ってみて、距離も1周307mと中途半端で、はじめは抵抗感があるかなと思ったのですが、そんなに気にはならなかったですし、室内なので風も気候も関係ないので、そういった部分はすごく良かったです。
ただレース内容に関して言うと、自分は「ラスト1周かラスト勝負」と思っていたのですが、ペースメーカーがすぐに抜けてしまって、自分が引っ張る形になりました。それでラスト勝負に備えることができず、切り替えに対応できずに差が付いてしまったので、もっと冷静に考えてレースできれば良かったなと思いました。
――ほかの選手が前に出ることはなかった?
阪口 米国の選手は自分で引っ張ろうというのがなくて、本当に「勝つためのレース」をしているというか。自分もペースを落としたりしたのですが、全然前に出てくれませんでした。僕もある程度のタイムを狙っていたので、遅すぎたら目標に到達できなかったし、落とし切れなかったところはあります。やっぱりもっとラストにこだわる意識が必要だったかなと思います。
レース後の写真。チームメートの鬼塚翔太(写真左)も参加し、關(右)と一緒のレースを走っている 【写真提供:關颯人】
米国はすごく3000mが盛んで、参加選手は1500m専門も5000m専門も集まるので、自然とレベルが上がります。その中で、やっぱりラストのキック力がまだまだ足りないし、残り400mのところで離されてしまったので、そういう部分で力の差を感じました。
レース直前の調整もスピード練習で刺激を入れる
關 31日にスタンフォード大学のレース(スタンフォード招待)に出ることになったので、期間を延長してオレゴンからスタンフォードに移動し、1週間滞在しました。ただ僕は、直前のスピード練習で足を痛めてしまったので、大事をとって出場はしませんでした。
阪口 僕も3月の始めに軽い肉離れをしてしまい、それが影響してジョグしかできていませんでした。もともと、關が5000m、僕が1500mに出場する予定だったのですが、スピード練習ができていなかったので、棄権するという話もしていたのですが、スタンフォードに着いてからレースの2日前に、ある程度走ることができたので、5000mのペースメーカーとして3000mまで走ることにしました。
――ケガ明けで急きょの出場だったが、実際に走ってみて?
阪口 スタンフォードのレース前日に200mを走ってみたのですが、そこでウェートトレーニングのおかげでもあると思うんですけど、スピードがすごい出ているなと実感しました。これだったら400mを65秒ペースで引っ張るのはできるという感覚があったので、そういう意味でウェートの成果が出ていたと思います。
――レース直前の調整で参考になったことは?
關 日本だとレース前日に1000mをやるところが多いのですが、米国では1000mをやっているところはあまりなかったです。そういう意味で日本とは違う調整方法でした。
阪口 僕はケガをしていたので、調整という調整がまったくできなくて、ただ足を治すことに専念していました。ただスタンフォードのレース前は、關も言っているように、日本であれば1000mを走りますけど、米国では400m+200mとか、練習でスピードを入れる調整方法でした。実際、自分的にもスピードを入れたほうが、動いたかなというのがあります。
「オレゴンの世界選手権に出ることが恩返し」
2020年東京五輪、そしてその翌年の世界選手権に向けて、世界で戦う準備をしていくと誓う 【スポーツナビ】
關 今季はユニバーシアード(台北/8月)の5000mを狙っています。日本に戻ってきてからは故障も癒えて、良いトレーニングが積めているので、米国で行っていたスピードのトレーニングもしっかり入れていこうと思っています。
また米国で一緒に練習していた選手の結果をチェックしているのですが、例えば1500mでその選手たちが3分30秒台で走っているのを見ていて、意識も変わりました。日本では3分40秒を切るだけで話題になるのですが、それは全然すごいタイムじゃないんだと。世界の基準で1500mや5000mを捉えられるようになったので、今では3分40秒を切ることは、あまり難しいことではないと思うようになりました。
阪口 僕は昨年1年間、1500mを中心にやりながら、駅伝のトレーニングも積んできました。もともと、世界ジュニアにも5000mか1万mで出場したいと思っていたのですが、自分の持ちタイムがなく、選考レースに出られなかったので1500mを走ったのですが、米国に行ってからは、もっと1500mで世界と戦いたいという思いが強くなりました。
關も話していた通り、1500mの日本記録は3分37秒台ですけど、米国ではそのタイムで走れる選手はたくさんいるわけです。米国の選手と話していた時にも「そのタイムなら(日本記録更新は)全然いけるね」と言われて、意識がすごく変わりました。
――今回の経験を通して世界を感じられたとのことだが、2020年東京五輪に向けては?
關 東京五輪は大学を卒業して社会人1年目。大学で付けた力を発揮する場所だと思います。そう考えると、大学でどれだけ力を付けるかで五輪に出られるかが決まるし、今回の経験はすごく自分にとって良いもので、練習面でも考え方でも、日本とは違うところを見られたので、良いところを取り入れていきたいです。日本にいたら日本の考え方しかできなかったのですが、自分の器が広がったというか、違った考え方が見えてきたこともあります。
東京五輪には出場したいですし、その翌年には世界選手権がオレゴン大学で開催されるので、そこに自分たちが出場することがオレゴンで指導していただいた方への恩返しになるのかなと思います。東京ではユージーンで一緒に練習した選手を迎えて、翌年は自分たちがユージーンに行ければと思います。
阪口 僕は1500mで東京五輪を目指したいと思っています。1500mと駅伝を両立しながら東京五輪を目指すのは厳しいですけど、大学を卒業した1年目に東京五輪となるので、そこでは1500mに特化して戦う準備をしたいと思います。やっぱり競技者としてやる以上、東京五輪は目指す場所。東京五輪を走るために、その前年のドーハ世界選手権にも出場しておきたいです。そのためにも、今年、来年の間にしっかり力をつけて、ドーハの舞台を経験し、次の年の東京五輪で戦える選手になりたいと思います。