「棚ぼた」Jクラブが真の市民クラブに J2・J3漫遊記 湘南ベルマーレ後編

宇都宮徹壱

激動の時代にキャリアを投じた「ミスター・ベルマーレ」

現役時代は「ミスター・ベルマーレ」と呼ばれていた坂本紘司SD。引退後は営業で経験を積んで現職 【宇都宮徹壱】

 湘南ベルマーレとして再スタートを切った00年から、曹貴裁(チョウ・キジェ)体制となって初のJ1昇格を決めた12年までの激動の時代を、ピッチ上で身をもって体験してきた人物がいる。現在、スポーツダイレクター(SD)と取締役の重責を担う、坂本紘司。かつて「ミスター・ベルマーレ」と呼ばれた男のキャリアのほとんどは、苦闘と躍進を繰り返すクラブの歴史と見事に重なる。静岡学園から磐田に加入したものの、3シーズン連続で出番なし。元磐田GMで、湘南ベルマーレの初代社長に就任することになった小長谷(こながや)喜久男に付き添うように移籍してきたのがきっかけだった。

「(00年)当時、僕は21歳だったんですが、こっちに来たら19歳や20歳の選手がごろごろいて、いきなり年長の部類になりましたね。1年目はまだJ1の名残みたいなものがあって、そんなに大変な印象はなかったです。周りも『すぐにJ1に戻れるよ』と楽観している感じでした。あの年は前園(真聖)さんとか松原(良香)さんなんかもいましたし。でも、ふたを開けたらまったくチームが噛み合わなくて、結局(11チーム中)8位に終わりましたね。2年目(01年)になると、経営の厳しさをじわじわと感じることが多くなりました。その後もクラブの方向性が定まらず、苦しい時代が続きました」

 結局、J1昇格という夢の実現には丸10年を費やすことになる。加入10シーズン目の09年、30歳となっていた坂本は50試合に出場、13ゴールを挙げる大活躍を見せ(いずれも自己最多記録)、J1復帰のけん引者となった。サポーターから「ミスター」の称号を拝命したのも、このシーズン。しかし当人いわく「あのシーズンで燃え尽きた部分はありますね。その後、3シーズンは現役でいましたが、余生みたいな感じで(苦笑)」。当時の坂本にとって、実のところ「J1昇格」が目標のすべてであった。だからこそ、今の若い選手には、目標設定の重要性を事あるごとに説いているという。

 現役引退後は、自ら望んで湘南の営業スタッフとなってセカンドキャリアの第一歩を刻んだ。「アルバイトの経験さえなかった」坂本であったが、当人のチャレンジ精神と周囲のサポートもあり、次第に営業として目に見える成果を残すようになる。14年には営業本部長に抜てきされ、昨シーズン途中より現職。今は強化の統括スタッフとして、育成からトップまでを俯瞰する立場にある。しかし、目指すのは目先の昇格だけではない。「ウチのような小さくても、一貫したフィロソフィーを持ったクラブがひとつでも増えれば、日本のサッカーはもっと良くなる。そういう気概をもってやっています」──スパイクを脱いで5年目を迎えた今でも、「ミスター」の表情は実にエネルギッシュであった。

フジタのスポンサー復帰を促したものとは?

フジタのスポンサー復帰に尽力した水谷尚人社長。かつての親企業を「われわれの生みの親」と語る 【宇都宮徹壱】

 前述したとおり、ベルマーレというJクラブが平塚に誕生したのは、「フジタのグラウンドが市内にあった」という偶然によってもたらされたものであった。そして未曾有の経営危機によって、フジタは撤退を余儀なくされたものの、新会社設立の原資となる資本金を残し、大神のグラウンドも数年間は提供した。その後、眞壁をはじめとするスタッフや選手の努力、そしてサポーターや自治体の手厚い支援もあり、湘南ベルマーレは最もJリーグの理念に則った市民クラブとなって今に至っている。

 さて、現在の運営会社が設立されたのは、チーム名が変更される前年の99年12月8日である。ここを基準点とするなら、今年はクラブ設立18周年。しかしながら湘南は、フジタが親会社だったベルマーレ平塚、そしてJリーグ参入前のフジタサッカークラブ、さらにその前身である藤和不動産サッカー部までも「クラブの歴史」として認識している。藤和不動産が栃木の地で産声を挙げたのは1968年。メキシコ五輪が開催された年である。クラブの原点をそこに求めるなら、来年は設立から50周年を迎えることになる。恩義あるフジタに対して、すでにクラブ側は昨年からアプローチしていた。

 フジタの副社長で、平塚競技場にもたびたびプライベートで訪れていたという金子賜。湘南の水谷尚人社長からコンタクトを受けたとき、彼は「何かセレモニーのお手伝いかな」と思ったという。これに対して水谷は「今、ウチの左袖のスポンサーが空いています。ぜひ、戻ってきてください」と切り出す。ここでいう「戻ってきてください」というのは、単にスポンサーフィーの話ではなく、「OBも含めて、フジタの皆さんにも大手を振ってベルマーレの試合を観に来てほしい」というクラブ側の強い思いが込められていた。金子は少し驚いたものの、社内で検討することを約束。「われわれが戻ることで、古くからのファンから反感を持たれるのではないか?」との懸念もあったそうだが、昨年12月20日、実に18年ぶりとなるフジタのスポンサー復帰が正式にリリースされた。

 3−1の快勝で飾った今季のホーム開幕戦。試合後、ゴール裏のサポーターはフジタの復帰を歓迎する横断幕を掲げている。観戦に訪れたフジタ関係者が、この光景にいたく感動したことは言うまでもない。「ベルマーレは社内でも特別な存在。一度は失ったつながりを取り戻せたことで、社員の間に活力が生まれたし、OBも喜んでいますよ」と金子が語れば、水谷も「フジタさんは、われわれの生みの親。状況が悪くていったんは離れても、また受け入れられる。そういうクラブでありたいですね」と言葉を重ねる。企業のお抱えクラブから脱却し、完全なる市民クラブとなって久しい湘南だが、かつてのスポンサーへの恩義は決して忘れてはいなかった。タイトルや収益や入場者数といった、目に見える数字だけが「クラブの価値」ではない。そのことを、湘南が歩んだ歴史は教えてくれる。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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