波多野和也が歩んできたプロバスケ道 7回の移籍を繰り返した先に見えたもの

カワサキマサシ

持ち上げられたデビューシーズン

bjリーグ発足時から第一線を走ってきた波多野が切り開いてきたプロバスケ道とは? 【カワサキマサシ】

 昨年9月にアルバルク東京と琉球ゴールデンキングスの対戦で行われた、Bリーグのオープニングゲーム。LEDが輝くコートの中にひとり、アフロヘアーで異彩を放つ日本人選手がいた。このときに初めてその選手の存在を知った人々が「あれは、誰なんだ?」と話題にし、注目が集まった。その選手とは、琉球の波多野和也だった。

「あの髪形は、ずっと狙っていたんです。琉球に入る前からアフロにしていて、これは開幕戦でも絶対にやってやろうと思っていました。開幕戦は絶対に、日本のバスケットボールの歴史に残る。どうにかして、僕の印象を残してやろうと思っていたんです(笑)。それでアフロで試合に出て、たまたまいつものスタイルで一生懸命にプレーしたら、見てくれていた方々が話題にしてくれたんですよね」

 波多野はbjリーグがスタートした2005年に、専修大卒のルーキーとして大阪エヴェッサに加入し、プロ選手としてのキャリアをスタートさせた。発足当初のbjリーグは外国籍選手の出場制限がなく、コート上の5人が外国籍選手となることもあった。その中で192センチの波多野は、貴重な日本人リバウンダーとして起用され続けた。新しいリーグが始まったばかりで知名度に乏しいクラブはスター選手を必要とし、ルックスが良く、日本人でチームの中心として活躍する波多野を前面に売り出す。しかし、突然プロ選手になって手本にする前例もなく、当時の彼自身にもそれを受け入れる器はなかった。

「今だから正直に言いますが、あの頃はチームに持ち上げられて、『マジかよ!?』と思っていました。メディアやなんかを通じて、『こいつは、すごくうまいんだ』みたいなイメージが付いてしまって。でも、僕は自分がそこまでのプレーヤーじゃないことは分かっていたので、すごく葛藤がありました。最初は悩みましたけれど、いつからだろう……。子どもたちの目標になりたいという気持ちはあったので、まずはプレーのひとつひとつを一生懸命にやって、そこまでの選手になれるように頑張ろうと思ったんです」

埼玉を皮切りに移籍を繰り返す

Bリーグのオープニングゲームにアフロヘアーで臨み注目を集めた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 やがて彼は自らが置かれている立場と折り合いをつけ、プレーヤーとしても大阪がbj初年度から3連覇を果たす立役者のひとりとなった。しかしプロ選手としての足場が固まりつつある一方で、心に渇きを覚えはじめる。それは大阪で4シーズン目を終えて、チームを移籍するという行動になって表れた。

「自分がいた環境に、マンネリを感じていたんです。大阪にいたら、良い環境のままでずっとやらせてもらえるけれど、新たな挑戦がない。それだったら、大阪を出るしかない。そのときの埼玉(ブロンコス)は、ビリだったのかな。ビリからもう1回やり直そうと思って、埼玉にいったんです」

 ここから、彼の旅が始まった。埼玉を皮切りに毎年のように移籍を繰り返し、現在の琉球まで延べ7回の移籍を経験。

「埼玉は加入してすぐにけがをして、震災で活動停止にもなりました。その次に行った滋賀(レイクスターズ)も、行ってすぐにけが。その次はヘッドコーチ(HC)のユキさん(鈴木裕紀)に、何年もずっと声をかけてもらっていた大分(ヒートデビルズ)。そこで新しいバスケットに出会って、長くいたいなと思っていたらクラブが経営難になって……。大分にいられなくなったので、最初に声をかけてくれた島根(スサノオマジック)にいきました。それから大分、滋賀にそれぞれ戻って、今季は琉球です(笑)」

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著者プロフィール

大阪府大阪市出身。1990年代から関西で出版社の編集部員と並行してフリーライターとして活動し、現在に至る。現在は関西のスポーツを中心に、取材・執筆活動を行う。

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