瀬戸貴幸、CLアンセムの夢と代表への思い ラウンド32で敗れ、ELでの冒険は終了

中田徹

21歳の時に当時3部リーグだったアストラへ

ヘンクをホームに迎えた第1戦は、瀬戸貴幸が90分に決めたゴールで2−2に追いついたが…… 【写真:ロイター/アフロ】

 昨季のルーマニアリーグ王者であるアストラは、夏のチャンピオンズリーグ(CL)予備戦3回戦でコペンハーゲンに敗れてヨーロッパリーグ(EL)予選プレーオフに回ったが、そこでウェストハムを破ってグループリーグに到達。ローマ、プルゼン、ラピッド・ウイーンと同居したグループEを2位で勝ち上がり、ラウンド32の舞台に立った。

 ベルギーの中堅クラブ、ヘンクをホームに迎えた2月16日(現地時間)の第1戦は、瀬戸貴幸が90分に決めたゴールで2−2に追いつき引き分けた。23日、第2戦を見るためにヘンクのルミヌス・アレーナを訪れると、ルーマニアから来た記者たちもいた。

「貴幸はサッカー選手としても、人としても素晴らしい。私は、彼の家にも遊びにいったことがあるが、実はおとなしくてね。典型的な日本人なんだ」

 瀬戸は高校を卒業してからもプロになれず、21歳の時に当時3部リーグだったアストラのテストを受けて合格。月2万円の基本給をもらえるサッカー選手になった。寮に住み、そこで食事も出たものの、両親から仕送りしてもらったこともあるという。一方で、ルーマニア1年目は3部リーグで優勝、2年目は2部リーグで2位となり1部に昇格。チームに勢いがあったため試合に勝つことも多く、勝利給がもらえたことはありがたかったという。

 アストラは1部リーグでも13−14シーズンにリーグ2位、カップ戦優勝と強豪チームの1つに成長していった。アストラは15−16シーズンのELプレーオフでAZと対戦することになり、オランダに住む私は「これで瀬戸を取材できる」と楽しみにしていたが、その夏の移籍市場でトルコ1部リーグのオスマンルスポルへの移籍が決まった。トルコではなかなか思うような活躍ができず、半年後にレンタルという形で古巣アストラに復帰することになり、ルーマニアリーグ優勝という偉業に貢献した。

ヘンクに敗れ、ELでの冒険は終わった

第2戦は0−1で敗れ、アストラのELでの冒険は終わった 【写真:ロイター/アフロ】

 無名のテスト生からの成功ストーリー、動画サイトで見る堂々たるプレーの振る舞いから、ギラギラとした野心を隠さない自己主張の強い青年を想像していただけに、ルーマニア人記者の「シャイ」という人物評には意表を突かれた。

 試合は時折吹雪が舞う、悪天候の中で行われた。4−3−2−1フォーメーションの“3”、つまり3人いるセントラルMFの右側が瀬戸のポジションだった。前半はヘンクのパスワークにアストラが揺さぶられ、瀬戸のいるサイドが崩されてピンチを招く場面もあったが、アストラも前半終了間際にビッグチャンスを迎えるなど、0−0で試合を折り返したときには勝負の行方がどちらに傾くか、まだ分からなかった。

 だが、後半22分にヘンクのMFアレハンドロ・ポズエロの蹴ったFKが、風の影響もあって大きくカーブしてアストラゴールのゴールネットを揺さぶる。アストラは最低でも2ゴールを決めなければいけない窮地に追い込まれる。瀬戸のポジションが高くなり、相手へのアプローチも速くなって、ボールを奪ってカウンターの起点になる回数が増えていった。瀬戸は後半37分でベンチに退き、仲間にその先を託したが、スコアは変わらず。アストラのELでの冒険はここで終わった。

 瀬戸は試合後のドーピングコントロールを受けたため、真夜中の1時近くにホテルへ戻ってきた。アドレナリンがまだ残っているようで眠気が全く来ないという。

「チームで一番古くなりましたが、特に問題もなく、ストレスもなく(やれている)。(この10年間で) チームは徐々に力を付けていき、ELに出られるようなチームになったり、リーグ優勝をしたりして、僕もチームとだんだん成長できました。環境もだんだんよくなっていきました。ルーマニアは給料の遅延が結構あるんですが、それは変わりませんね。(給料の)額は大きくなりましたが、1カ月、2カ月遅れるのは普通です。最終的には入りますけれどね」

 ヘンクとの180分間の戦いを終え、「勝てない相手ではなかった」という悔しさが残った。それでも、14−15シーズンに初めてELのグループリーグを戦い、グループDで最下位になった時の経験を生かせたという充実感も残ったはずだ。

「2年前に出た時は、僕にとっても初めてELのグループリーグで、戦い方も分かっていなかった。僕たちより上のチームとやる時の戦い方も(知らなかった)。結構オープンに戦ってしまって5点とか取られるような試合が、2年前は結構ありました。今回はまず守備から。僕たちはそんなに大きなチームではないので、守備からしっかり入るという戦い方で、なんとかグループリーグを突破できました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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