京都記念、マカヒキ依存症対策 「競馬巴投げ!第138回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

一生に一度でいいから余ったカネというものを見てみたい

[写真3]マカヒキ 【写真:乗峯栄一】

 競馬に出掛ける朝、姿見の前で服装に迷う。ぼくはこう見えてもファッションにはうるさい。有象無象の集まる競馬場だから何着て行ってもいいということにはならない。

「どうもこの恰好、貧乏くさいな」

 上着をとっかえひっかえしながら呟く。

 そのとき妻が洗濯カゴを抱えて背後を通る。

「いいじゃない。貧乏なんだから」

 すでに千日回峰行は始まっている。“競馬僧上”は黙々と服を着て、ツタカズラの生い茂るイバラ道を歩く。

「いまから競馬行く。余ったカネあったら出してくれ」

 ベランダに向かって声を掛けるが、返事はない。我家のツタカズラは生来無口である。
 戸を開けて「おい、余ったカネあったら出してくれ」と再び言う。

「え?」とベランダから声がする。しょうがない、「余ったカネあったら出してくれ、いまから競馬行く」と大声を出す。

 ツタカズラは洗濯物からチラッと向き直り「一生に一度でいいから余ったカネというものを見てみたい」と言う。

 さすが年季の入ったツタカズラ、言うことに含蓄がある。

「さすがだね」と苦笑を漏らし、僧上は薄っぺらなポケットに手を突っ込んで戦場に向かう。玄関を出て「あ、雪だ、雪が舞っている」と呟くときも「オレはギャンブル依存症だ」とは考えない。「オレはツタカズラの苦難も、舞い散る雪の逆境も突き進んでいく“ギャンブル修行僧”だ」と考える。

競馬やめたら、そんなアホな質問せんでええようになるのに

[写真4]ミッキーロケット 【写真:乗峯栄一】

 戦い済んで日が暮れる。肩にかかる雪を払いながら、僧正は静かに帰宅する。

 あらゆる刀傷を負い、幾多の弓矢で射ぬかれた僧上は、それでもちゃんと電車賃だけは残していて、夕食に間に合うように帰ってきた。これも修行の成果である。

「いいなあ、やっぱり家は。ちゃんとゴハンにありつけるし、ハッハッハ。もう今日なんか、競馬場、メッチャ寒い。でもお父さんはしっかり頑張った。ウン、全力を尽くしたね。結果は出なかったけど、物事は結果じゃないからね、ハッハッハ。さあゴハンにしよう、ゴハンに。アレ、カレー、まだかな?」

 僧上はカレー皿をスプーンで叩く。

 刀傷を負い、矢で射ぬかれた割には元気がいい。この明るさ、この気遣い、この段階でもうすでに並の競馬ファンのレベルは凌駕している。

 食事の中盤、僧上はツタカズラたちに向かって依然明るく問いかける。

「じゃあ今日は一つ君たちにアンケートしてみよう。用意はいいかな? イエーイ、あれ、返事がないなあ。まあいいか。じゃあ質問ね。この中で経済的に余裕のある人はいないかな?」

 居合わせる“ツタカズラ”と“子ツタカズラ”はただ俯いてカレーを食い続けている。

「そうか。余裕なしか。……よし分かった。じゃあ、お父さんはこう質問を変えよう。“余裕なし”の中にも色々ある。“大”余裕なし、“中”余裕なし、“小”余裕なしとこう三段階に分けると、これはどうなるかな?」

「“大”」と即座にツタカズラ。「ぼくも“大”」と小学生の子ツタカズラも続く。

「そうか。二人とも“大”か。よく分かった。しかし、来週も競馬はあるということ、このことはみんなで考えてみなければならない問題だな。ウーン、じゃあこう質問を変えてみよう。大余裕なしの中にも色々あるはずだ。ね。“大”大余裕なし、“中”大余裕なし、“小”大余裕なしと、あえてこう分けてみると、これはどういうことになるかな?」

「お父さん」と不意に子ツタカズラが顔を上げる。「競馬やめたら、そんなアホな質問せんでええようになるのに」

 小学生は首を傾げて哀れみの表情を浮かべている。千日回峰行には付き物の、鬼の“泣き落とし”戦術である。僧上はカレー皿を置いてムックと立ち上がる。

「もういい。お前らには頼まん」

 僧上は憤然と席を立つ。家族はてっきり自分の部屋に帰ると思うが、そうではない。そーっと忍び足で妻の部屋の押し入れに向かう。そこには妻が大事にしている「昭和天皇在位六十年金貨」があるからだ。前から狙いをつけていたものだ。僧正ナメんなよ。

 正しい“ギャンブル依存症”患者を目指して、今日も汗みどろの修行は続く。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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