稀勢の里が描いた長く穏やかな成長曲線 早熟かつ晩成、横綱の円熟期はこれからだ
“無冠”の年間最多勝で得た経験
先場所は3横綱を破るも遠藤(右)ら平幕に3敗を喫し、優勝を逃した 【写真は共同】
1年後の25年5月場所は初日から13連勝の快進撃も、14日目、白鵬との全勝対決に敗れると千秋楽も大関琴奨菊に連敗。惜しくも優勝を逃すが、同年11月場所も13勝。いよいよ、悲願達成も近しと思わせたが、翌26年1月場所は右足親指を負傷し、千秋楽で不戦敗となり負け越し。大関在位中、唯一のカド番を経験することになる。
「早く(横綱に)上がっていたら、とっくに引退していたかもしれない」
最近になって、本人がポロッとこぼした。事実、このケガ以降、勝ち星が2桁に届かない場所が目立ち始めた。30歳を目前にして新たな試練に見舞われた。「強い日本人横綱が見たい」というファンの期待を背負い続けて10年余。優勝に一番近い日本人力士と言われてきたが「10年ぶりの日本出身力士優勝」の栄誉は琴奨菊に奪われた。悔しさは想像に難くないが「言いたいことは山ほどあるけど」と、その先の思いは口にすることなく飲み込んだ。
苦しい時期を乗り越えると、昨年3月場所から2場所連続13勝。完全復活を思わせる結果にも「特別、何をしたから変わったということはない。いろいろなことが積み重なって良くなってきただけ」と事もなげに言う。先の11月場所で3横綱を撃破したのは記憶に新しい。賜盃を抱くことこそなかったが、3場所連続で綱取りに挑戦するなどの活躍で、年間最多勝にも輝いた。
「ああいう状況で相撲を取らせてもらう経験はなかなかできないこと。気持ちの部分で落ち着いて相撲が取れた。去年は自分の中で本当に成長した1年だった」と“無冠”に終わったものの、大きなプレッシャーに晒されながらも、自分の相撲を取り切れたことに確かな手ごたえを実感したのだった。
ついに結果に結びついた「心」の成長
「横綱・稀勢の里」初披露となる奉納土俵入りを前に、雲竜型の稽古に励む 【写真は共同】
早熟と思われた男は、気の遠くなるような緩やかな右肩上がりの曲線を描きながら、年6場所制以降、史上4位の30歳6カ月という高齢で綱を手に入れた。新入幕から所要73場所は史上断トツのスロー出世だ。
父・萩原貞彦さんは息子が昨年、何度も綱取りに挑んでいる最中にこう言った。「鍛え方次第で40歳でもできると思う。武道は40歳を超えないと境地が開けない。これからじゃないですか」。
恵まれた体躯(たいく)に、長い時間をかけてハイレベルな技と戦術、そして誰も経験したことがないプレッシャーにも打ち勝った精神力を身につけていった第72代横綱。
「体は20代より元気。うちは晩成型の家系だから(笑)」と稀勢の里が語るように、若年と高齢の両方の昇進記録に名を連ねる稀有の横綱に、これまでの定説や常識は当てはまらない。これからが円熟期だ。