大エースのいない駿台学園の絶対的な武器 高校バレー「三冠」を支えた総合力
日本一厳しい練習で身に付けた逞しさ
梅川監督のもと、日本一厳しい練習を積んで逞しさを見に付けた 【坂本清】
中学時代に全国大会を制したエリートぞろいではあるが、高校に入学した当初は意識も低く、選手たち自身も「チャラチャラしていた」と言うように、追い込む強さどころか目立つのは甘さばかりだった。
そこに喝を入れたのが、梅川監督だ。2013年に梅川監督が就任する前のチームは関東を中心に東日本のチームとしか練習試合が組まれていなかったが、「それでは日本一など程遠い」と考え、大村工(長崎)や星城(愛知)など九州や全国大会を制したチームとの練習試合を積極的に行った。移動も格安航空券を探し、陸路ならばマイクロバスを自ら運転し、全国を走り回った。
メンバーがそろっているから勝てる。そんな声も聞こえたが、中学時代の経験で勝てるほど春高は甘いものではない。だからこそ「日本で一番厳しい練習をしよう」と選手に伝え、実践した。コーチはいないため、バスを自ら運転するように、ボールを打つのも監督だけ。藤原が「練習のスリーマンレシーブが駿台の強さになった」と言うように、コートの端から端まで走り、跳び、食らいついてボールをつなぐレシーブ練習に、1時間以上を費やすことも当たり前だった。
その練習は、岩手国体で駿台学園の選手とともに東京代表メンバーとして戦った、東亜学園のリベロ・大吉匠も「こんなにレシーブ練習をするのかと驚いた」と言うほどの質と量。決して大げさではなく、日本一厳しい練習を乗り越えた選手たちは、最上級生になって、見違えるほどのたくましさを見せた。
バラバラだった「個」の集団が「チーム」に
強烈なリーダーシップを発揮したリベロの土岐(右) 【坂本清】
春高の組み合わせが決まった翌々日、学期末テストを数日後に控えていたこともあり、スリーマンの練習時に疲れを見せ、ボールも追わず、精彩を欠いた選手がいた。当然梅川監督は見逃さず、雷を落とす。だがそれでも積極的にボールを追おうとせず、あと一歩が出ないその選手に、ボールをぶつけるほどの怒りをあらわにしたのが土岐だった。
「僕らはインターハイ、国体と一番長く試合をしてきたから、相手にはそれだけデータがそろっている。それなのに試合であんなプレーをしていたら、絶対にその隙を攻められるし、そういう姿勢が足元をすくわれるんです。そんなことで後悔したくないし、自分たちのせいで、ここまで1人で必死に引っ張ってくれた先生が責められるのは絶対に嫌。自分のためだけじゃなく、先生や後輩に勝ちをあげたい。それを、全員に分かってほしいんです」
決勝の最中も、コートには何度も土岐の声が響いた。
「フォローは任せろ。思い切り打て!」
練習では厳しく叱咤(しった)し合い、試合では助け合う。苦しい日々を全員で乗り越えて、入学当初はバラバラだった「個」の集団が、最後の試合では最強で抜群の「チーム」になり、三冠という偉業を達成した。
体はボロボロですと笑いながら、土岐が言った。
「先生についてきて、先生を勝たせることができて本当によかった。ホッとしました」
最高のチームが見せた、最高のフィナーレだった。