前橋育英で成長を続ける双子の兄弟 父が成し得なかった選手権制覇を2人で

安藤隆人

「思わぬ形」で実現した選手権での同時出場

PK戦でインターハイ王者の市立船橋を下した前橋育英。同時にピッチに送り出された2人もPKを成功させた 【写真は共同】

 選手権1回戦の明徳義塾(高知)戦、右MFのスタメンには悠が入り、涼はベンチスタートとなった。試合には勝利したものの、67分に涼が投入される一方で、46分には悠が下がっていたため、同じピッチに立つことはできなかった。しかし、続く2回戦の市立船橋(千葉)戦でそれは「思わぬ形」で実現した。

 共にベンチスタートとなり0−0で迎えた69分、2人そろってピッチサイドでユニホーム姿になっていた。

「難しく考えないで、シンプルに自分のプレーをやろう」と悠が涼に語り掛けると、涼は「そうだな。変に意識せず、お互いで流れを変えよう」と答え、2人はハイタッチをした。

 2人同時にピッチに送り出されると、その言葉通り、彼らはスムーズに試合に入り安定したプレーを見せた。そして、PK戦では2人目のキッカーで涼が登場すると、右隅に冷静に決め成功。続く3人目は悠だった。「涼が右にしっかりと決めてくれたので、自信を持って蹴ることができました」と、強烈なキックを真ん中に突き刺した。結果、前橋育英は5人全員がPKを成功させ、夏の高校総体(インターハイ)王者を下す大きな勝利を手にした。

「サッカー人生で本当に初めての経験だった。一緒に入って、PKを共に決めて……。一生忘れられない、記憶に残る試合になりました」(悠)

父の思いを背負って、埼スタのピッチに立つ

選手権制覇に向けて、2人は父の思いを背負い準決勝のピッチに立つ 【写真:アフロスポーツ】

 遠野(岩手)との3回戦、滝川第二(兵庫)との準々決勝は1回戦と同様、悠はスタメンで涼はベンチスタートと一緒にピッチに立つことはなかった。だが、準々決勝で2−0と勝利したことで、また同じピッチに立つチャンスは残った。

「準決勝は周りの期待に応えるプレーをして、涼と2人で埼玉スタジアムのピッチに立ちたいです」(悠)

「準決勝は同じピッチに立ちたい。本当に強く思っています」(涼)

 2人は現在2年生、最高学年となる来年は間違いなくレギュラーの座をつかむだろう。だが、どうしても今回一緒にピッチに立って成し遂げたい目標があった。それは兄弟の絆ではなく、「親子の絆」だった。

 2人の父である普さんは、今から27年前の第68回選手権で、前橋商業のレギュラーとしてベスト4に輝いている。この時は準決勝で優勝した南宇和(愛媛)に1−4で敗れ、涙をのんだ。

「(父の記録を)超えたいし、2人でプレーする姿を見せたい」(悠)

 ついに父が立った舞台にたどり着くことができた。だからこそ、2人でピッチに立って、父が成し得なかった決勝進出、そして選手権制覇を達成したい。2人の思いはひとつだった。

 選手権前、父から贈られた言葉は「選手権は難しいぞ」という一言。シンプルだが、経験した者にしか分からない重い一言だった。この言葉で2人の表情は引き締まり、決意も固くなった。兄弟の絆、親子の絆。まさに縦の糸と横の糸が重なり、2人はさらにたくましく成長する過程の真っただ中にいる。

 1月7日、埼玉スタジアムのピッチに思いを寄せて――。田部井兄弟は決意の場所に立つ。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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