オシムさんと“阿部ちゃん”の師弟関係 ライター島崎が語るJリーグの魅力(3)

島崎英純

オシムさんの真摯な態度と高潔な姿勢

オシム監督はメディア陣に対しても真摯に、思慮深く接してくださった 【写真:アフロスポーツ】

 僕はオシムさんを心から尊敬しています。取材対象チームを完膚なきまでにたたきのめした、そのサッカースタイルに畏怖の念を覚えたのはもちろんですが、オシムさんはその後、僕を含めた日本のメディア陣に対しても真摯(しんし)に、思慮深く接してくださったからです。

 後にジェフの指揮官から日本代表監督に就任したオシムさんのチームは、07年のAFCアジアカップ予選を戦うために06年10月、インド南部・バンガロールの地に立ちました。すでにホームでインド代表に6−0と大勝していた日本代表はアウェーの地でも必勝を期しましたが、試合前日の記者会見で日本人の取材記者がオシムさんに対して、「明日のゲームでは何点差をつけて勝つことが求められますか」という質問を当てると、日本の指揮官は激昂してこう諌(いさ)めたのです。

「もしヨーロッパの強豪国と日本が戦うことになって、日本のホームでヨーロッパの記者に『日本に何点差をつけて勝つ?』なんて質問を聞いたらどう思いますか? 悔しくなるでしょう。絶対に勝ってやると思うでしょう。相手の闘志を焚き付けてどうするんです? そもそも、対戦相手を尊敬しなければ勝負は成り立たない。誰かを下に見る限り、その対象に未来はないのです」

 その後、会見場を離れようとしたオシムさんは当該の記者さんを呼び寄せて、自らの考えを懇切丁寧に再度説明していました。日本のみならず、インドを含めた世界のサッカーコミュニティ全てに慈愛の心を持って接する。そのオシムさんの真摯な態度と高潔な姿勢に、僕は大変な感銘を受けたのです。

阿部選手が史上6人目のJ1・500試合出場へ

阿部選手は10月1日のJ1・2ndステージ第13節の浦和vs.G大阪に出場を果たせば、史上6人目となるJ1リーグ500試合出場を達成する 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 そのオシムさんの薫陶を受け、現在のJリーグで素晴らしい実績を築き上げている選手がいます。浦和のキャプテン・阿部勇樹選手は、10月1日に行われるJ1・2ndステージ第13節の浦和vs.ガンバ大阪に出場を果たせば、史上6人目となるJ1リーグ500試合出場を達成します。

 阿部選手は千葉の下部組織出身で、16歳と333日の年齢でJ1初出場を果たしました。もちろん前述した05年5月3日の千葉vs.浦和にもジェフの一員として先発フル出場していますし、日本代表としても10年のワールドカップ・南アフリカ大会に出場した、Jリーグ史に残る名MFです。

 阿部選手のサッカー観はオシムさんによって形成されてきました。これも有名な話ですが、当時チーム最年少でジェフのキャプテンを任された阿部選手は、オシムさんの厳しい練習メニューに不満を漏らした先輩選手から「監督に直訴してこい!」と言われて指揮官へ「休みをください」と嘆願したところ、オシムさんから「休むのは引退してからでいいだろう」と言われたエピソードがあります。

 阿部選手は30代半ばを過ぎてもオシムさんの教えを守っていて、今の所属チームであるレッズではチームがオフ日の時でも練習場に現れて自主トレーニングをしてしまうことから、クラブ側が「今日はクラブハウスにスタッフも含めて誰も来るな! 阿部が来ちゃうから、鍵閉めて全面クローズ!」と厳命した日もあるそうです。

尊い“阿部ちゃん”とオシムさんの師弟関係

「またオシムさんと会えたら、何を話したい?」という質問に対し、“阿部ちゃん”は「とりあえず握手ができればいいかな」と答えた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 阿部選手はことあるごとにオシムさんとの思い出を口にしますし、その人柄に心酔していることも公言しています。彼がどれほどオシムさんに敬愛の念を抱いているか、それをうかがい知れるエピソードがもうひとつあります。

 08年1月30日。国立霞ヶ丘競技場で行われたキリンチャレンジカップの日本代表vs.ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のゲームを取材しました。取材記者の入場口はメーンスタンド右下の裏側付近にあるのですが、その入口横には試合前のチームがウォーミングアップをする施設もあります。そのウォーミングアップ場と道路を仕切る網から、ひょこひょこと顔を出して周囲の様子をうかがう選手を見つけました。阿部選手です。何度も何度もキョロキョロと頭を動かし、時に目を凝らして遠くを見つめて何かを探しています。数分後、彼が大声を上げて「あっ! 来た! 来た!」と叫ぶので何かと思い、視線の先へ顔を向けると、車から悠然と降り立つ大柄な人物が……。オシムさんでした。

“阿部ちゃん”が叫びます。
「歩いてる! 歩いてる! やった! やった!」

 07年11月16日 。オシムさんは脳梗塞で倒れるも奇跡的に一命を取り留めます。しかし日本代表監督を続けられる状況になく、岡田武史氏に指揮権を委譲しました。その後は懸命なリハビリの末に驚異的な回復を果たし、約2カ月後、日本の入院先から母国のボスニア・ヘルツェゴビナ代表と日本代表のゲームを観戦しに国立まで訪れたのです。

 当時、恩師との邂逅(かいこう)を果たした“阿部ちゃん”の表情は少年そのものでした。その彼が16年シーズンの今季、J1でタイトル争いを繰り広げる浦和のキャプテンとしてピッチに立ち、500試合出場の偉業を成そうとしている。脈々と息づく歴史と選手の成長、そしてかけがえのない指揮官の存在。これもJリーグが備え持つ魅力のひとつですよね。

“阿部ちゃん”は、「またオシムさんと会えたら、何を話したい?」という質問に対し、こう答えています。

「とりあえず握手ができればいいかな。ジェフ時代も、監督は試合に勝ったら必ず握手をしてくれた。握手さえできれば会話がなくてもいいです。それくらい、僕とオシム監督は同じ時を過ごして、一緒に生活をしてきたので……。握手だけで、何かを感じることができるはず」

 こういう師弟関係って、本当にうらやましい。そして尊い。

 1日のレッズvs.ガンバ。僕はホームチームのゲームキャプテンの勇姿を、この目に焼き付けたいと思います。

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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