美しい少年サッカー、裏ではびこる悪習 スペイン暮らし、日本人指導者の独り言(11)
ポピュラーなのは“替え玉”を使うこと
私は替え玉はやらないと宣言しているが、やっている監督は知っている(写真はイメージ) 【写真:アフロ】
子供たちはリーグに登録している証拠であるライセンス証を持っていて、これがないと試合に出られない。が、この顔写真がぼやけていたり、数年前のものだったりするし、普段はいちいち照合したりしないので、別の子を紛れ込ませる監督がいる。毎年リーグが終盤戦になったり、優勝が懸かるような試合になると、審判が抜き打ちでチェックをし始めるので、インチキをしてでも勝ちたいという大人がいるのだろう。
プレーするだけでうれしいという純真な子供たちはまったく無関係だが、そんなインチキは彼らにも筒抜けだし、親も気付くだろう。訳知りの大人はともかく、子供たちにどう説明するのだろうか? 替え玉のせいで試合に出られなかった子は何と思うのだろうか?
替え玉の理由は、どす黒い勝利欲だけではない。
選手登録枠の関係でプレー資格のない子を試合に出させるため、という温情監督もいる。こちらの方は気持ちは分かるが、ルールはルールであり、登録枠の拡大を働き掛けるのが筋だろう。
また、単に選手不足という場合もある。
市の特別ルールで7人制サッカーで9人しか招集できない場合、自動的に負けが決まる。そういう時は負けでもいいから、試合ができればいいと思っている。実際昨シーズン、選手不足で不戦勝だったが、相手の申し入れを受けて試合をしたことがある。試合ができないのは子供たちが可哀想だが、できるのならそれでいい。他のチームから子供を連れて来てまで、試合を成立させようとは思わない。
こういう考えは、やはり私が日本人だからのようだ。
私は替え玉はやらないと宣言しているが、やっている監督は知っている。先のカナダ人のように私が正義感が強いタイプなら、そういう同僚を告発するのだろうが、自分に関わりがない限り黙認している。相手チームの不正を疑って審判にチェックするよう促すこともしない。自分が不正をしなければそれでいい、という個人主義的な立場である。
何シーズンに1回かは監督業を休みたいと思う
一昨季にセビージャ市のチャンピオンになった際、その最も権威あるはずの各リーグの王者を集めた大会での経験は不愉快なことの方が多かった。
決勝戦の試合後、相手監督に「子供に遅延行為を教えるな」と嫌味を言われたことは前にも書いた。準々決勝では試合後、替え玉の言いがかりをつけられ、1時間半近く審判室でのくだらない押し問答に付き合わなければならなかった。審判が試合前にライセンス証と子供を照らし合わせていたのだが、いい大人4人が私を取り囲み「ユニホームを取り換えて、別の子が紛れ込んだ」などと言う。こちらは「やっていない」の一点張り。5−0で大勝した試合で、“替え玉が必要なのはそっちだろ”と思ったが、それは口にしなかった。
この時は審判の毅然とした態度に救われた。「私はチェックしたし、不正など見ていない」と断固とした態度で、その場を収めた。相手チームは市へ訴えたようだが、もちろん認められなかった。
この国の少年サッカーには美しいところとそうでないところがあり、前者の方が大きいから監督を続けている。はびこる悪習に対して「私はやらない」と突っぱねることも、“あいつは外国人だからしょうがない”と大目に見られている節もある。タフでなくてはやっていけないのだが、何シーズンに1回かは監督業を休みたいと思うのは、その外国人であるストレスのせいもあるのだろう。