卓球・水谷、どん底からつかんだ銅 “天才の苦悩”乗り越え歴史的快挙

平野貴也

倉嶋監督「日本が生んだ天才の一人」

なかなかスポットライトの当たらない男子のエースとして奮闘し続けてきた 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 卓球の男子シングルスで世界大会のメダルを獲得することが、どれだけ大変なことか。これまでも幾多の先人が挑み、敗れてきた。水谷が小学生の頃、日本は中国から帰化した偉関晴光がエースとして世界との距離を縮める戦いをしていた。まだ五輪の成績と言えば、1回戦敗退が相場だった時代だ。その中で日本初のプロ選手となった松下浩二や渋谷浩が台頭。国際舞台で戦う土台がようやくでき上がった。

 当時、幼いながら才覚を示していた水谷は、日本男子卓球界の歴史を変える寵児として大きな期待を背負った。現在、日本代表男子を率いる倉嶋洋介監督も「隼を初めて見たのは、彼が小学校6年生の頃。ボールタッチを見て、ただ者ではないなと思った。それから十数年、日本卓球界の強化策があって、海外遠征に行ったり、トレセン(味の素ナショナルトレーニングセンター)ができたりと道のりが整って、日本全体が良くなった。水谷もそれに合わせて、メダリストまでの道のりができてきた。本当に日本が生んだ天才」と話す、水谷の将来に期待をかけていた一人だった。

 先述の通り、天才には天才の苦しみもあった。それでも、倉嶋監督ら日本の卓球に関わる人々の期待は、間違っていなかった。水谷は15歳で代表入りを果たして世界選手権に出場。以降、10年以上にわたって男子代表をけん引し、福原愛(ANA)の登場を機に女子が脚光を浴びる中、なかなかスポットライトの当たらない男子のエースとして奮闘し続けた。そして、女子がまだ成し得ていない個人戦での五輪メダル獲得をやってのけたのだ。倉嶋監督は「女子との比較はしない。ただ、女子だけじゃなくて男子も頑張っているんだぞということを、たまには見せておかないと。結果で見せることがやっぱり一番。そういった意味では良いメダルだったと思う」と大きな存在感を放った水谷を称賛した。

「中国を倒すことも可能だと思う」

水谷(右)は中国人選手と並んで出席した記者会見で「遠い未来、中国を倒すことも可能じゃない」と強い決意を示した 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 水谷の首にかけられた銅メダルは、日本の歴史を変えるかもしれない。国内で優れたトレーニングを受け、世界の強豪と対戦する環境が整っている上に、今後に現れるであろう才能は、前人未到のメダル獲得ではなく「日本人でもできる」と証明した道筋を見ながら進めるようになるからだ。

 日本の夢は、銅メダルで終わらない。水谷は、優勝、準優勝の中国人選手と並んで出席した記者会見でこう言った。

「僕ら日本チームは『打倒、中国』と思って練習を積んでいる。今まで、世界選手権(の団体戦)では銅メダルが多かったけれど、今年は銀メダルを取ることができた。そして、今回は五輪のシングルスで銅メダルを取った。日本のレベルが上がってきていると思う。遠い未来、中国を倒すことも可能だと思うし、中国を倒すために努力している」

 世界の最前線に食い込めることは、リオの地で結果を出して証明した。次は、中国の覇権を崩す。水谷は準決勝でも3位決定戦でも、ネットインやエッジで軌道が急に変わるボールに絶妙なアジャストを見せた。普通は当てるか拾うかで精いっぱいになり、最悪の場合はノータッチも免れない難しいボールだ。倉嶋監督は「水谷は、ギリギリのところまでボールを見極めて判断するので、ボールが少しイレギュラーしても手が出る。あれは、世界一。中国の選手でもあそこまでネット処理、エッジのボールを取ることはできない」と期待の才能が花開いた姿を見て、胸を張るように答えた。

 武器はある。自信は、つかんだ。

 歴史的快挙の銅メダルから、水谷の、そして日本の挑戦はさらに加速する。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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