息子のため国籍変更、母への感謝…識者が選ぶ「五輪の感動エピソード」

矢内由美子
 あまたの努力を重ね、夢舞台を踏んだオリンピアンたちには、多くのドラマがある。過去に取材してきた選手の中から、正面から見ているだけでは分からない感動のエピソードを持つアスリートを3人紹介する。

最愛の息子のために――オクサナ・チュソビチナ(体操)

2006年4月、ドイツのケルンにて。白血病の治療を受ける最愛の息子と 【Getty Images】

 16歳だった1991年9月、ソ連代表として出場した体操世界選手権で、オクサナ・チュソビチナは金メダルを獲得した。天才少女の前途は洋々としていた。同年12月に祖国が崩壊したが、青春を体操に懸けた少女には激流にあらがう強さがあった。

 92年バルセロナ五輪にはEUN(独立国家共同体)の一員として出場し、金メダルを獲得。そして96年アトランタ五輪にはウズベキスタンの代表として出場を果たした。
 97年には同郷のレスリング選手と結婚し、99年11月にはひとり息子のアリーシア君を授かり、幸せをかみしめる日々。しかし、この幸せは長くは続かなかった。

 2002年、最愛の息子に不幸が襲いかかった。急性リンパ性白血病。母国では十分な治療を受けられないとドイツへ移り住み、チュソビチナは高額な治療費を捻出するため賞金大会に出続けた。
 息子の治療費を保険でまかなえるという事情もあり、母国から非難を受けながらもドイツ国籍を取得。08年北京五輪、12年ロンドン五輪にはドイツ代表として出場した。北京五輪では種目別跳馬で銀メダルを獲得した。

 アリーシア君の病気が治り、13年には国籍をウズベキスタンに戻した。41歳になったこの夏は、ウズベキスタン代表として、7大会連続7度目の夢舞台となるリオ五輪に出場する。7度の出場は体操史上最多だ。

 アリーシア君は現在16歳。ドイツで寄宿舎生活を送りながら学校に通い、サッカーやバスケットボールを楽しんでいる。
「どんなときも必ず、体操仲間が助けてくれた。それを肌身に感じて生きてきた」
 最愛の息子の命を救いたいとの一心で体操に打ち込んできた。世界一強く美しい母の姿はリオ五輪でも見られる。

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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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