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忘れた頃に花開いたフランスの英雄パイエ
ビエルサに触発され、心技体とも成長

パイエの人生を変えた、ビエルサの教え

パイエが花開くきっかけとなったのは、マルセイユに監督としてやってきたビエルサ(左)との出会いだった
パイエが花開くきっかけとなったのは、マルセイユに監督としてやってきたビエルサ(左)との出会いだった【Getty Images】

「スイッチを押したのは、ビエルサ監督だった。彼から、僕は本当に多くのことを学んだ」とパイエは振り返る。パイエはビエルサによって方向性を与えられ、ハッパを掛けられた。


「彼は僕に衝撃と、10年分のレッスンを与えた。僕を成熟させ、プレーに一貫性のある選手にしてくれた。いつシンプルにプレーすべきか、いつ挑発すべきかを知るということ――彼は僕のプレーを整頓してくれたんだ。僕は今も、彼のアドバイスの幾つかを頭の中にとどめている。それらはキャリアの終わりまで、僕を助けてくれることだろう」とパイエは語っている。


 ビエルサ指揮下にあったマルセイユで、パイエはときに厳しく叱咤されながらも、プレーメークの鍵を託された。ビエルサのアシスタントだったヤン・ファン・ビンクルは「パイエが20歳のときにビエルサに出会っていなかったことが残念だよ」とさえ言う。


「そうすれば今頃、世界最高峰の選手の1人になっていただろうに」


 こうしてビエルサのマルセイユで、14−15年シーズンのリーグアン・アシスト王となったパイエは、ウェストハムの監督スラベン・ビリッチに熱望され、初の海外リーグに挑戦することに。そしてそこで、プレミアリーグの最優秀選手賞にノミネートされるほどの目覚ましい活躍を見せるのである。


「彼のタッチは並外れている。ときどき、アシストを送るのを急ぎすぎるときがあるが、コントロールも素晴らしい。彼はチームを勝たせることのできる選手なんだ。フランスの人たちは、彼がイングランドで与えたインパクトに気づいていないのだと思う」と言ったのはビリッチだ。


「パイエはボールを足に違いを生みだすが、他の仲間のために走り、汚い仕事もやる選手だ。だからうちのチームでもすぐに受け入れられ、愛されるようになった。彼は他の選手からベストを引き出せる選手なんだ」とビリッチは言う。


「彼はすでにいい選手だったが、ビエルサは彼に勤労の精神を植え付けた。同時に、年齢による成熟もあるのかもしれないが」


 目覚め切っていなかった才能がビエルサによってスイッチを押され、イングランドという新天地で開花し、一回り大きなパイエが生まれたのだ。

フランス代表はどこまでいけるのか?

まだエンジンがかかり切っていないフランス代表。自国開催のユーロでどこまでいけるか
まだエンジンがかかり切っていないフランス代表。自国開催のユーロでどこまでいけるか【写真:aicfoto/アフロ】

 パイエの奮闘でグループを首位で抜けたフランスの次の相手は、闘志あふれるアイルランドに決まり、それに勝てば次にはイングランドとアイスランドの勝者が待っている。今のフランスにとって、簡単な相手など存在しない。


 好調のパイエに救われはしたが、フランス代表全体を見れば、まだエンジンがかかり切っていないのが現状だ。ディフェンスの欠陥は、中盤のフォローによって試合ごとにましになってきてはいるが、強いとは言い難い。そして何より、かつて機能していたパスによるプレーの組み立てがうまくいっておらず、面白いほどゴールが生まれた大会前の親善試合とうってかわって、苦しみながら最後に得点をもぎ取る形が続いている。


 ルーマニア戦では個人技の一発で勝利を引き寄せたが、1人で勝つことができないということは、パイエ自身が一番よく知っているだろう。実際、2戦目のアルバニア戦で、ポグバとグリーズマンが先発から外れ、プレーを作れる選手がパイエだけになったときのフランスは、全くいいものを見せられなかった。このチームはパイエ、ポグバ、グリーズマンと、チャンスメークをする力を持った3人がさまざまな場所で危険を生みだしてこそ、強さを発揮するチームだ。


 ビエルサの教えに触発され、心技体とも成長したパイエが、さらなる輝きを見せるのか。本調子でなかった他の誰かが目を覚ますのか? それとも、不完全燃焼のまま終わるのか? パイエが火をつけた導火線の先に何があるのかは、まだ誰にも分からない。

木村かや子

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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