小塚崇彦、単独インタビュー 引退発表後に語った「氷上を去る」理由
現役引退を発表した小塚が「氷上を去る」理由を語ってくれた 【スポーツナビ】
ふと感じるものがあった
大きな出来事としては、昨年末の全日本選手権のFS(フリースケーティング)で最後のポーズをとった瞬間に、ふと感じるものがあったんです。そのときに「これが引退するタイミングなんだ」と思い、そこから(佐藤)信夫先生に話をして、(所属先の)トヨタの上司に話をし、全日本に出ていた仲間たちに話をし、そういう流れで少しずつ話をしていったという感じです。
――引退することを伝えたときの先生方の反応は?
信夫先生、(佐藤)久美子先生、(小林)れい子さんの3人ともちょっと感じていたところがあるのかなと思っていて……。演技直前に靴ひもが取れて、後ろで久美子先生とれい子先生がバタバタと「あと30秒だから早くいかないといけない」と言っていたんですけど、信夫先生だけはやけに落ち着いていたんですよね。点数なんていいから、1点なんかいいからと言っているような。何かを感じていたのか、こんなことでバタバタするのも嫌だし、「崇彦にちゃんと演技をさせたい」という思いがあっての落ち着きだったんじゃないかと僕は思っています。そういう部分は信夫先生の経験だなと思いますし、深いところですよね。
最後の演技となった昨年末の全日本選手権。靴ひもが取れるアクシデントがありながら、佐藤信夫コーチ(右)は落ち着いていた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
最後かもしれないなとは思っていました。実際にそういうシチュエーションは今までに何回もあったので(苦笑)。「今回が最後かな」と思いながら最近はずっとやってきました。でも終わった瞬間に、本来ならば演技前半で失敗しているし、悔しい感情が出てくるところで、気持ちがシュッと抜けるというかそういう状態になってしまったので、「これが終わるタイミングなんだな」と思ったという感じです。
――引退を決めて、いろいろな言葉をかけられたと思いますが、その中で印象に残っているものはありますか?
本当にいろいろな人から声をかけてもらいました。みんな「崇彦がいなくなるのは寂しいな」とか、「こんなに心強い先輩がいなくなるのは……」って言ってくれましたね。みんなで作り上げてきたこのスケート界から離れるのはちょっと寂しい気持ちもありますけど、いつかは引退するときが来るので。それは僕の体の面でも、気持ちの面でもやりきったということなのかなと。みんなにそういうふうに思ってもらえるだけでも、幸せなスケート人生だったなと思います。
未練はバク宙をできなかったこと?
もともと先天性のものなので、ケガなのか病気なのかというのもあるんですけど、そこはもう割り切っていましたね。今そのときにやれることをやるしかないと思っていたので。もちろんリハビリもしましたし、トレーニングもしました。できる範囲で体を動かして、氷に戻ったらすぐにちゃんとできるように、ケアもしながらやっていました。
――「やりきった」とおっしゃっていましたが、未練は全くなかったですか?
(演技中に)バク宙はやりたかったなと思います(笑)。でも、それ以外は本当にないです。
――2年ほど前にお話しを伺ったときは「世界の舞台でもう1度完璧な演技をしたい」とおっしゃっていましたが、それは残念ながらかないませんでした。
1度だけ2014年の全日本のFSで、これ以上にない演技もできましたし、そういうプログラム(『イオ・チ・サロ』)にも出会えましたからね。確かに世界の舞台ではなかったですけど、全日本であれだけ気持ちのこもったスケートができたので、これ以上欲を出してもしょうがないだろうという思いもあります。
『イオ・チ・サロ』は小塚にとって特別なプログラムだ。14年の全日本選手権では会心の滑りに思わずガッツポーズ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
最近で1番良かった試合ですから、そういった意味では鮮明に覚えていますね。
――プログラムへの思い入れも強かったのではないでしょうか?
『イオ・チ・サロ』は、僕をすべてきれいにまとめあげて作ってもらったプログラムなんです。あれは本当に僕にしかできないプログラム。基本的に僕はどのプログラムにも思い入れはあるんですね。ただ、曲がどうとかというわけじゃなく、『イオ・チ・サロ』は僕にしかできないと思えるようなものだったという意味で、特別なプログラムだと思っています。