中村俊輔が抱く危機感と責任感 プロ20年目、前進し続ける司令塔

元川悦子

チームの課題と若手の育成

ビルドアップはチームとして改善すべき課題。しかし、中村は「我慢」のスタンスを貫いている 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 そんな中村だからこそ、今の横浜FMの状態を物足りなく感じている。鳥栖戦後も「もっと圧倒して勝ちたいね」と本音を吐露した。

「今はまだ我慢して勝ってるから、これが理想ではない。こういう試合をみんな真面目に守備して勝ちにつなげているのはいいことだし、敬真もサッカー選手としてゴールがどれだけ大事か分かってきた。遠藤とか若い選手も含めてみんなレベルが高いし、こうやって強くなっていけばいいけれど、まだ順位が3位(以内)のレベルではないかな」とあえて苦言を呈し、チーム全体の底上げの必要性を口にしたのだ。

 横浜FMが改善すべき重要テーマの1つがビルドアップ。鳥栖戦でも、早い時間に先制した後は低い位置でブロックを作って守勢に回った。この結果、最前線の富樫とトップ下の中村の距離が大きく開き、富樫が孤立する形に。中村がゴール前に飛び出すチャンスは皆無に等しく、FKを蹴る場面さえも作れなかった。チーム全体のシュート数が6本にとどまったのも、攻撃陣が高い位置を取れなかったせいだろう。

 堅守が横浜FMの武器というのは周知の事実だが、やはり圧倒して勝つにはもっと全体が高い位置を取りながら攻めの迫力を増していくことが大切だ。シュート数ゼロに終わった中村自身も「忍耐の重要性」を強調していた。

「(攻めの)ビルドアップが低いのは昔からの問題。それはしょうがないから我慢。ビルドアップがもうちょっとうまくいけば、自分も前で仕事ができるようになる。そのためにもチームトータルで変えていかなきゃいけないよね」

 中村が「我慢」のスタンスを前面に押し出すのは、「自分も若い頃、コーチングスタッフや先輩たちに育ててもらった」という思いがあるからだろう。1997年に桐光学園高からプロ1年目を踏み出した頃の中村は、左足のキックの精度や種類こそずぬけていたが、体のセンが細く、90分走れないひ弱な選手だった。その課題を踏まえながら、当時のハビエル・アスカルゴルタ監督は毎回のように後半25分すぎに彼を投入し、限られた時間の中で実戦経験を積ませていった。

「自分が成長できたのも(アスカル)ゴルタのおかげ」と本人も口癖のように語っていた。そんな経験があるから、今は焦らずじっくりと若い富樫や遠藤、ボランチの喜田拓也らの潜在能力を引き出していくべきだと考えている。今年6月に38歳になる男には「チームを担う責任感」が常に頭の片隅に刻まれているのだ。

自身の目標は2ケタゴール

13年度の天皇杯から2シーズンタイトルから遠ざかっている横浜FM。今度こそ年間王者の座をつかめるか 【写真は共同】

 その一方で、中村は自分自身のゴールも貪欲に追い求めている。今季の目標は2013年シーズン以来の2ケタゴール。今はまだ福岡戦のFK1点だけだが、いかにしてチャンスを増やしていくかが今後のカギになってくる。

「最近、(アントワーヌ・)グリーズマン(アトレティコ・マドリー)のプレーを見てるんだよ。グリーズマンはFWの動きをしている。それをやっていたら自分の得点は入るかもしれないけれど、チームが勝てないんじゃないかなと。だから今はビルドアップに重きを置くんだよね」と彼は複雑な胸中を明かしたことがあった。

 クリスティアーノ・ロナウド(レアル・マドリー)やリオネル・メッシ(バルセロナ)といった世界に名だたる点取屋たちと同じリーガ・エスパニョーラという舞台でハイレベルな競争にさらされながら、今季ここまでリーガで17ゴールを挙げている25歳のフランス代表の一挙手一投足に注目しているということは、それだけゴールに強い渇望があるということに他ならない。

 レフティーでFKという絶対的武器を持ちながら、抜群のスピードでゴール前に抜け出してゴールしたり、ヘディングでもシュートを決められるグリーズマンは、中村との共通点もある選手。そうやって常日ごろから自分に加えられそうな新たな何かを探し求め、少しでも自分を前進させようとしているのが、中村俊輔という希代のフットボーラーである。

 横浜FMは13年度の天皇杯から2シーズンタイトルから遠ざかっている。このシーズンは序盤からJ1でトップを走り続けていたにもかかわらず、中村自身の胆嚢炎発症も災いして終盤に失速。最終節で川崎に敗れてタイトルを逃す屈辱を味わった。2度目のJリーグMVPに輝いた俊輔もどこか割り切れない気持ちでいっぱいだったに違いない。その悔しさを完全に払拭(ふっしょく)するためにも、今度こそ年間王者の座をつかみ、「名門復活」を果たさなければならない。選手としてピッチに立てる時間が確実に減ってきているがゆえに、この機を逃してはいけない。本人にはそんな危機感もあるのではないか。

「去年(14年12月)、セルティックパークへ刺激を入れに行ったんだけど、サッカー文化のすごさをあらためて感じた。セルティックの元選手が亡くなったりしたらすぐ黙とうするし、パーティーがあったら歴代の名選手を招待したりと、人とのつながりが日本と違う。そういう特別な文化ってホント、素晴らしいよね」とつい最近、中村は話していた。横浜FMにもセルティックのような偉大な文化を根づかせたいという思いは誰よりも強いはず。壮大な未来像に近づくためにも、百戦錬磨の背番号10は、まだまだ身をていして戦い続けなければならない。

 プロ20年目を迎えた中村俊輔が、Jリーグにもたらすものは依然として少なくない。常にトップを走り続け、進化を続ける大ベテランの一挙手一投足を、われわれはしっかりと目に焼きつけるべきだ。

※【お詫びと訂正】掲載時、中村俊輔選手のコメントの中で、「最近、(ユルゲン・)クリンスマンのプレーを見てるんだよ」という記述がありましたが、実際のコメントはクリンスマンではなく、グリーズマンでした。中村選手、関係者の皆さまにご迷惑をお掛けしましたことをお詫びし、訂正いたします(3/24)

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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