中村俊輔、いまだ衰えぬ進化への意欲=幾多の挫折を乗り越え、2度目のMVPに

元川悦子

ピッチに突っ伏して号泣

優勝を逃し、ピッチに突っ伏す俊輔。どんな時でも気丈に振る舞う男が激情をあらわにした 【写真:アフロ】

 2万人を超える大観衆のすさまじい熱気に包まれた等々力競技場で12月7日に行われた2013年J1最終節、川崎フロンターレvs.横浜F・マリノスの神奈川ダービー。0−0で迎えた後半7分、横浜FMの司令塔・中村俊輔がコントロールしていたボールを、川崎のキャプテン・中村憲剛が鋭い反応でインターセプトした。「俊さんとは長くやっていて、絶対に左で持ち出すと思ったから先読みした」という憲剛の狙い通りのボールカットからレナト、大島僚太、大久保嘉人とつながり、大久保が強烈シュート。GK榎本哲也がいったんははじいたが、大島がこぼれ球を拾ってレナトへ展開。次の瞬間、横浜FMを地獄の淵に突き落とすゴールが生まれる。重くのしかかったこの1点を横浜は最後の最後まで跳ね返せなかった。2度3度あった俊輔自身の直接FKのチャンスも枠を捉えるには至らなかった。

 タイムアップの笛が鳴り響くと、背番号25をつける横浜FMのキャプテンはピッチに突っ伏して号泣した。サポーターへのあいさつもスタッフに支えられて行うのが精いっぱい。どんな時も気丈な男がここまで激情をあらわにするのは初めてのことだった。

「(涙の理由は)ファンの方と応援してくださっている方に申し訳ないっていう気持ちだけだった。今日は何としても決めるんだって思って一番集中してパワーを使った。それはキャプテンだからもちろんなんだけど、それでも結果が出ない。この結果はもしかしたら今後に響くかもしれないね……」

 試合後、気を取り直して報道陣の取材を受けた俊輔は、含みを持たせた言い回しをした。このまま気力を落としてキャリアをフェードアウトさせる方向に進むのではないか……。そう危惧させるくらい、9年ぶりのJ1タイトル獲得を逃したことに激しいショックを受けていた。

 35歳のベテランMFの今季に懸ける思いはそれほどすさまじいものがあったのだ。

俊輔が掲げた2つの目標

 2013年シーズンを迎えるに当たり、俊輔は2つの目標を掲げた。1つは04年から遠ざかっているリーグ優勝、もう1つが2ケタ得点だった。1997年から16年間のプロ生活を送ってきたが、これまでのシーズン最多ゴールは横浜2年目の98年とセルティック時代の06−07年の9点。今季こそゴールを奪えるトップ下、そしてキャプテンとして、力強くチームをけん引しようと強く決意した。昨季は肺炎にかかってキャンプを棒に振るなど出遅れを強いられたが、今季は万全の状態でトレーニングも積めた。本人も自信と手ごたえを持って開幕を迎えられたという。

 そんな俊輔にチームメートも呼応し、今季の横浜FMは開幕6連勝という最高のスタートダッシュを切った。彼を筆頭に、ドゥトラ、マルキーニョス、中澤佑二と30代後半の選手が多いため、ケガや疲労蓄積も懸念されていたが、ベテラン勢は猛暑の夏場もコンディションを落とすことなく安定感を維持した。持ち前の攻撃のアイデアやひらめきはもちろんのこと、FKやパスの精度の高まり、前線から激しくボールを追う運動量や走力もアップした。俊輔自身、「若い時みたいにトップ下で気分よくやらせてもらっているのがすごく大きいね」と笑顔をのぞかせつつ、水を得た魚のようにイキイキとしていた。

「今季はチームのバランスを保ちやすかった。後ろにカンペイ(富澤清太郎)と中町(公祐)がいて、自分が引けば中町が前に行ってくれる。サイドにはドリブルで突破してくれる学(齋藤)がいて、何気に兵藤(慎剛)がつなぎ役でいてくれる。自分が前に出ればマルキ(マルキーニョス)が2トップっぽくなって一緒に追いかけてくれる、適当なクロスを出せばマルキが首一本で入れてくれる。そういうふうにいろんなことがバチッとかみ合った。自分に合うサッカーをさせてくれた味方には本当に感謝してます」という俊輔は仲間との最高のハーモニーに満足感を深めた。

 10月19日のサンフレッチェ広島との上位対決を制し、佐藤寿人に「今年の俊さんがチームにもたらしている影響力は非常に大きい」と言わしめた時点で、俊輔は優勝という1つ目の目標達成を確信したに違いない。次の10月27日の大分トリニータ戦で2ケタゴールというもう1つの目標を果たしたことで、なおさらタイトルへの集中を高めたはずだ。

まさかのアクシデントに見舞われ、本来のキレを失う

 残り試合は4つ。大願成就がうっすらと見え始めた時、彼にまさかのアクシデントが降りかかる。ヤマザキナビスコカップ決勝でJ1の日程が2週間空いた11月初旬、胆のう炎にかかって緊急入院するはめになったのだ。桐光学園時代の高校選手権決勝での発熱、06年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会期間中の原因不明の体調不良など彼は過去にも重要局面で病に見舞われてきたが、まさか今回も同じような出来事が起きるとは予想だにしなかっただろう。

 1週間弱の療養を経て退院し、11月20日の天皇杯・AC長野パルセイロ戦で公式戦に復帰したものの、好調時のキレと鋭さはすぐには戻らなかった。11月23日のジュビロ磐田戦に勝って栄冠に王手をかけたところまではよかったが、アルビレックス新潟と川崎とのラスト2試合は俊輔らしさが失われていた。「この2週間は苦しい道のりだった。そういうのは本当に初めて」と本人も振り返ったように、計り知れない重圧の中、創造性あふれるパス出しができず、FKも力なく枠を超えていく。俊輔が起点を作れなくなったことで、横浜FMの攻撃は単調になり、決め手を欠いた。彼は一言も発していないが、「もし病気にならなかったら……」と思わずにはいられなかっただろう。最終的に今季初の連敗を喫して首位の座から転げ落ちた川崎戦後の号泣には、そんな苦しさ、悔しさ、空しさが入り混じっていたはずだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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