重心の5番と、ゲームを動かす7番 北九州の背番号にまつわるストーリー

上田真之介
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精神的支柱がつけてきた5番

現在5番を身にまとい、キャプテンを務めている前田和哉。決して多くを語らないが、背中でチームを引っ張る 【写真:アフロ】

 背番号をひもとくことは、チームの歴史と今シーズンへのつながりを理解することにもなる。ギラヴァンツ北九州では2つの背番号に注目したい。一つはチームの精神的支柱となる人物がつけてきた5番。そしてもう一つはゲームの中心となる人物がつけてきた7番だ。

 まだ北九州が九州リーグで厳しいシーズンを戦っていた2006年に、北九州に招き入れられたのが桑原裕義。サンフレッチェ広島、アルビレックス新潟などのトップチームでプレーしたのちに北九州に加入し、アマチュアチームにプロ意識を植え付けた。桑原は06年にファジアーノ岡山へ半年間の期限付き移籍をしたが、その半年間を除いた6年間、北九州でチームを引っ張り続けた。

 桑原はプロサッカー選手としてのキャリアを、11年シーズンを最後に退くことになる。その時点で40歳。当時のJリーガーとしては三浦知良、中山雅史に次ぐ年長選手だったが、ボランチとしてゲームを動かし、運動量は落ちることがなかった。ひたむきに練習に打ち込み、プロとしての矜恃(きょうじ)を保ち続けた。39歳、40歳と年齢を重ねるたび、取材陣からは「ベテランとしてどう戦うか?」などといった質問がよく飛んだ。しかし、桑原の返答は一貫していた。

「ベテランという感覚はないです。若手の気持ちで戦っています」

 走り続ければ、道は開けてくる。08年、チーム名を「ギラヴァンツ北九州」とあらためて以降の初代5番である桑原は、ひたむきにサッカーに打ち込む姿勢を背中で示した。

 その桑原の後に5番を受け継いだのは金鐘必(キム・ジョンピル)だ。現在はタイ・プレミアリーグに活躍の場を移している。金は12年に5番をつけ、桑原と同じボランチやセンターバックで活躍した。ひたむきさという点でも5番の伝統に恥じぬ姿勢で、加入当初は日本語もままならなかったものの、多田高行らポジションの近い選手に師事する形で日本語を習得。コミュニケーションの不安は徐々に解消されていった。

 現在、北九州において5番をつけるのは前田和哉だ。チームが大きく変わり、桑原の北九州時代を知る選手も少なくなったが、前田もまたプレーで選手のあるべき姿を表現する。加入初年度の13年はJ2で16位に沈むが、同年シーズンは後半戦から戦績が向上。若手選手の補強も行った14年はシーズン最初から「このメンバーだとJ1を目指さなくてはダメだと思う」と話し、持ち前のハードディフェンスでチームを引っ張った。14年は5位、15年も7位とチーム躍進の立役者になっている。

 13年シーズンからキャプテンを務める前田は、今年もキャプテンを務める。桑原がそうであったように、決して多くを語らないが、真摯(しんし)な姿勢でトレーニングに打ち込み、勝負にこだわり試合に臨む。その意気が未来を照らすリーダーだ。
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著者プロフィール

1984年生まれ。北九州市小倉北区出身。自称「世界最小級ペンギン系記者・編集者」。学生時代に後輩から「ペンギンみたい」と言われて以降、ペンギンはアイデンティティとなっている。アザラシの「しろたん」グッズも収集しており「しろたんっぽい」と呼ばれることもある。サッカー誌等でレノファ山口とギラヴァンツ北九州を担当。街ネタや鉄道も好んで取材。路線図作りも得意技のひとつ。

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