10番を背負い“庄司時代”を切り開く 山口の背番号にまつわるストーリー

上田真之介
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埋まることのなかった背番号10

名前の頭文字をとって44番をつけていた庄司。今季は欠番になっていた10番を受け継ぐ 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

レノファ山口FCの10番を中国地域リーグ時代から長くつけてきたのが、福原康太だった。

 中国リーグでもがいていた山口の中で、その際立ったサッカーセンスで、チームをけん引してきた。当初は背番号も7番だったが、10番を担うようになり、その活躍は出身地の福岡県北九州市でも知られるようになっていた。しかし、チーム体制が上位カテゴリーを戦う仕様へと変わっていく中で出場機会を失い、2014年のシーズン途中で、FCバレイン下関に期限付き移籍。同年シーズン後、復帰を果たせないまま契約満了となった。

 山口が戦いの舞台をJ3に移し、15年シーズンが始まったとき、「10番」の姿はなかった。福原の姿がなかったというわけではない。山口に背番号10をつける選手がいなかったのだ。もちろん、10番を希望した選手はいたが、選手として福原とプレーしてきた石原正康GMにとっても、もちろんサポーターにとっても、「10番といえば福原」というイメージは強く脳裏に焼き付いていた。

 福原は退団する際にこうつづっている。

「無理だとは分かっていても、現役を引退する日までずっとずっと山口の10番のユニホームを背負って、最高のサポーターの皆さんの応援を背にプレーしたかった」

 福原へのリスペクトを込めて、チームの中心を長く担える選手に10番を引き継がせたいというのが、関係者全員の気持ちだった。しかし、チームは在籍年数の浅い選手が中心の構成で、期限付き移籍の選手も目立つ。15年中にJ2に上がれるかどうかも見通せず、選手の変動は避けられなかった。結果として、10番が空席のままシーズンが始まり、最後までその席は埋まらなかった。

長く10番を背負える選手に

 できるだけ長く山口で10番を背負える選手――。15年シーズンの1年間を通した活躍から、それに見合う選手が現れた。庄司悦大だ。15年に加入した際には、「しょうじ・よしひろ」のそれぞれの頭文字をとって44番をつけた。それは平林輝良寛の39番を上回るチーム最大の番号。おおむね、11番以下の数字の小さい選手がレギュラーを張ることが多いチームにあって、異色の番号となった。
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著者プロフィール

1984年生まれ。北九州市小倉北区出身。自称「世界最小級ペンギン系記者・編集者」。学生時代に後輩から「ペンギンみたい」と言われて以降、ペンギンはアイデンティティとなっている。アザラシの「しろたん」グッズも収集しており「しろたんっぽい」と呼ばれることもある。サッカー誌等でレノファ山口とギラヴァンツ北九州を担当。街ネタや鉄道も好んで取材。路線図作りも得意技のひとつ。

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