赤信号を渡る国で自己責任について考える スペイン暮らし、日本人指導者の独り言(3)

木村浩嗣

スペイン人は赤信号でも道を渡る

赤信号でも車が来ていなければどんどん渡る。私も悪い見本になりたくないので子供たちの前では渡らないが、それ以外の時は渡る。日本では渡らない 【木村浩嗣】

 こちらでは赤信号でも車が来ていなければ、人はどんどん道を渡る。それだけでも日本人とは違うが、もっと驚くのは警官がその場にいても黙認していること。一時帰国中に警官に怒鳴られたことがあった。早朝、左右を良く確認し、見渡す限り誰もいない大通りを渡っていたら、信号が赤だったのだ。一瞬、なんで怒られるのか分からなかったが、気が付いた。“そうだ、ここは日本だったんだ”。

 スペイン人が赤信号でも渡り、それに警官が何を言わないのは、ひかれても自己責任だからなのか、車が来ていないのに信号を守るのはアホらしいからなのかは分からない。おそらくその両方だろう。日本ではルールはルールだから、早朝の人っ子一人いない道でも信号は守らなくてはならないが、スペインではルールは破るためにあるから赤信号でも人は渡る。

 この赤信号を渡るか渡らないかは、サッカーにも反映している。ルールは破るためにある国だからこそ、スペインではいわゆる“マリーシア”(ルール違反を厭わない狡猾=こうかつ=なプレー)が発達しているのだ。ファウルでプレーを止めるとか、審判の見えないところでシャツを引っ張るとか、PKの笛を誘ってダイブするとかは、日本人よりもスペイン人の方が得意なのは当たり前である。

 ルールを守る国の子供にいきなり、“ズル賢くなれ、ファウルしろ”と命じても無理というもの。逆に、スペインにいる私にはマリーシアを教える必要がない。私の指導する11、12歳くらいならまだ純白だが、何も言わなくてもこれから自然に灰色に染まっていくのである。

国民性や気質はサッカーにもきっちり反映

赤信号を渡る国、スペインの子供の方が日本の子供よりシュートへの意識が高い、というのは本当だろう。だから、と言って「渡れ」と教えるわけにもいかない 【木村浩嗣】

“赤信号を渡るから国だからこそ、強引にシュートを打つFWが生まれる”という意見も聞いたことがある。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ったコメディアンがいたが、スペイン人は一人でも渡るのである。

“みんなが渡れば渡れる”というのはいかにも日本的な発想だ。スペイン人の方が我が強いのは事実だから、強引さが求められるゴール前で、シュート意識がより強いのもスペイン人の方だろう。日本の子供がパスを選択するような場面でも、スペインの子供はシュートを打つ。日本では“シュートを打て”と指導するのが指導者の役目だろうが、こちらでは逆で“パスを出せ”と指導するのである。

 国民性や気質はサッカーにもきっちり反映しているわけだが、優秀な日本人FWを育てたいからといって、信号無視やルール違反を奨励するわけにはいかないだろう。赤信号を渡らせるのは命の危険があるし、ルールは破るためにあると育てた子供が、大人になってルールはルールという社会になじめない恐れもある。やはり、その国はその国の国民性や気質の範囲内でサッカーをしていくしかないのだ。

 仮に将来、日本にも我の強いストライカーが誕生する土壌ができたとして、その時の日本の子供たちは本当に幸せなのだろうか? 弱者切り捨ての方便として“自己責任”が容赦なく求められる社会で、ハングリー精神に溢れる選手が出てきたと思ったら、本当にハングリー(空腹)だった、ではしゃれにならない。

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著者プロフィール

元『月刊フットボリスタ』編集長。スペイン・セビージャ在住。1994年に渡西、2006年までサラマンカに滞在。98、99年スペインサッカー連盟公認監督ライセンス(レベル1、2)を取得し8シーズン少年チームを指導。06年8月に帰国し、海外サッカー週刊誌(当時)『footballista』編集長に就任。08年12月に再びスペインへ渡り2015年7月まで“海外在住編集長&特派員”となる。現在はフリー。セビージャ市内のサッカースクールで指導中。著書に17年2月発売の最新刊『footballista主義2』の他、『footballista主義』、訳書に『ラ・ロハ スペイン代表の秘密』『モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」』『サッカー代理人ジョルジュ・メンデス』『シメオネ超効果』『グアルディオラ総論』(いずれもソル・メディア)がある

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