五輪切符を勝ち取った臨機応変の共通理解 「アジアで勝てない世代」の汚名を返上

川端暁彦

残り15分からのベンチワーク勝負、「延長勝負」は起きず

失点後も選手たちには、試合の流れに応じた「臨機応変の共通理解」があった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 しかし、「焦りはなかった」と遠藤は強調する。単なる感覚の話ではなく、失点直後に選手たちが自然と声を掛け合う様子を見ての確信だった。「これ以上はないぞ」「前半は我慢しよう」。試合の状況に応じて、今そのときが耐えるところなのか、攻め込むタイミングなのかを全員が共有すること。それはチームがずっと取り組んできたことであり、大一番で実践できていることこそ、成長の証しでもあった。「前半は1−1でいい」。シンプルにまとまった結論に従って、残り時間を過ごしてハーフタイムを迎えることとなる。

 こうした流れに応じた「臨機応変の共通理解」は後半にも発揮されることとなった。後半はこれといったチャンスが作れず、前半よりもボール支配率が低下していくこととなったが、「悪い流れだからと焦ったりすることはなくなった」(遠藤)。前半は積極的な仕掛けからボールを動かしていた日本だったが、後半は「取れなかったときの、チームの共通理解。耐えて勝つ」ことを全員が自然と意識していた。同時に「浅野(拓磨の投入)で隙を突くスイッチを入れて、何か起こせれば」(共に手倉森監督)ということまで、選手たちの意識は及んでいた。

 そんな選手たちの様子を見て、「後半は『耐えることにだんだん慣れてきたな』と感じました」と指揮官は微笑む。「これは我慢比べだな」とも思ったと言うが、同時にそれなら負けないと思っていたに違いない。そして残り15分からはベンチワークの勝負である。負傷明けの鈴木が足をつって後半23分に交代していたため、日本にとって2枚目のカードが実質的には最後の札に近い。強行出場の遠藤の状態が読めないこともあり、延長戦の存在まで考えれば、3枚目のカードはそう簡単に切れないのだ。

 後半33分、久保を下げて浅野を投入。準々決勝のイラン戦よりも早い時間帯での投入は、「延長には行きたくない」という指揮官のメッセージである。明確にスイッチを押した。対するイラクベンチは、温存してきたフマムを後半40分になってようやく投入。これはイラン戦で手倉森監督が「延長へのアイドリングだ」と、豊川雄太を送り込んだタイミングに近いものだろう。「恐らくイラクは延長のことを考えていたんじゃないか」と日本の指揮官も分析する。フマム以外の2枚を走力のある選手に使ってきたのもその印象を加速させた。「タリク(フマム)があれ以上長くプレーしたら本当に危険だった」とも言う。

 だが、「延長勝負」は起きなかった。アディショナルタイムに突入して3分後。延長を意識して体力を温存したいという意思がイラクに見え隠れする中、日本が押し込んだこの時間帯に「誰も書けないようなシナリオ」(手倉森監督)が待っていた。浅野のボール奪取から南野拓実につないでのクロスボールは相手GKにクリアされたが、そこに待っていたのはMF原川力。チーム立ち上げ以来のメンバーは彼らしい冷静さでのワンタッチコントロールから左足のボレーシュート。「ふかさないことだけ考えた」一撃は、風に乗って一直線にゴールへと突き刺さった。

新世代の日本代表は「アジアで勝てない世代」の汚名を返上し、6大会連続となる五輪の切符を勝ち取った 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 2016年1月26日、ドーハに嵐は起きなかった。悲劇は、起こさせなかった。強固な団結心に裏打ちされた臨機応変の共通理解と、苦境に動じぬ心の強さを手にした新世代の日本代表は、「アジアで勝てない世代」の汚名を確かに返上し、リオへの切符を力強く勝ち取ってみせた。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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