キャリアの終盤を迎えたサビオラ 古巣バルサも出場するクラブW杯への思い

バルセロナで要求された大人のプレー

サビオラ(左)はシャビ・エルナンデスとの友情についてかけがえのないものだと語っている 【写真:ロイター/アフロ】

――バルセロナとの決勝が実現すれば、何年もプレーしてきたあなたにとっては特別な一戦となります

 そうだね。バルセロナではキャリアにおいて最も素晴らしい時期を過ごした。若くしてヨーロッパへ移籍し、世界有数のビッグクラブの一員としてプレーできたんだから。バルセロナで僕の考え方は一変し、プレーの質は飛躍的に高まった。おかげでヨーロッパのサッカーにもすぐに慣れることができたし、バルセロナを通して広い世界を知ることもできた。お金にはかえられない経験ができたバルセロナでは、他のどのクラブよりも充実した日々を過ごすことができたよ。

――具体的にバルセロナであなたのプレースタイルはどう変わったのでしょう?

 バルセロナに来てすぐに、ヨーロッパと南米のサッカーには大きな違いがあることに気づいたんだ。その1つはボールが動くスピードだった。スペインでは常に芝生を湿らせている分ボールがよく走るので、パス回しのテンポが違うんだ。南米ではもっとドリブルを多用するし、ボールも止まりやすいのでヨーロッパほどプレーの展開が速くない。だからフィジカルコンタクトが多くなるんだけど、バルセロナではその違いに慣れる必要があった。深みをとる縦パスを引き出すこと。良い姿勢でボールを受けること。そういうプレーが求められた。僕はラストパスをもらってゴールを決めるのが好きな選手だけど、パトリック・クライフェルト、ルイス・エンリケ、リバウドといった重鎮たちにアシストすることも求められた。19歳にして成熟した大人のプレーが求められたわけだけど、幸いにもうまくこなすことができたよ。

――バルセロナでは加入直後からかなりハードルの高いプレーを要求された上、同じタイミングでレアル・マドリーに移籍したジネディーヌ・ジダンと比較されることもありました。

 そうだね。バルセロナほど重要なビッグクラブに来れば、そのような事態が生じることは分かっていたよ。リーベルのトップチームでデビューした時もそうだったけど、バルセロナでプレーしはじめた時期は大きなプレッシャーを感じていた。当時は大きな期待を背負っていたからね。高額の移籍金を伴って移籍した僕は、加入当初からピッチ内外で注目を集める存在であり、即戦力としてチームにフィットし、ゴールを決めることが求められた。でも当時の僕はそのような状況をキャリアにおける素敵な挑戦だとポジティブに受け止め、楽しんでプレーしていたよ。ファンにも良い形で受け入れられ、良い関係を築けていたしね。

――バルセロナではシャビ・エルナンデスと友情を育みました。

 その通り。加入当初から遠征先の部屋を共有していた彼とは、すぐに親友と呼べる仲になった。サッカーを超えた関係を築くに至った友人の1人だよ。困難に直面するたび、彼は家族ともども僕を招き入れ、何度も助けてくれたんだ。バルセロナには母親と2人で移住したんだけど、彼はあらゆる面でサポートしてくれた。彼との友情はかけがえのないもので、今でも連絡を取り合っているよ。

――そのシャビがバルセロナを円満に退団できたことは、あなたにとってもうれしいことだったのでは?

 そうだね。彼はファンの拍手に包まれ、世界中のリスペクトを集めながら、栄光とともにバルサを退団した。彼はたくさんの人々に喜びを与え、バルサには無数の勝利とトロフィーをもたらしてきた。選手としても人間としても彼ほど偉大な人物は、どんな言葉を使ってもその素晴らしさを表現することはできない。

――あなたとは反対の立場になりますが、ハビエル・マスチェラーノもリーベルとの決勝が実現すれば古巣と初めて対戦することになります。プロとしての立場と個人的な思い入れは、このようなビッグゲームにおいて容易に割り切れるものですか?

 それは難しいよ。彼はリーベルで多くのことを学んだ。一人前の選手に育てたのはリーベルだからね。でもプロとして振る舞わなければならない。彼は今バルサの選手であり、他の選手と同様に、勝利を目指して戦うことは間違いない。彼が強靭(きょうじん)な勝者のメンタリティーを持っていることは周知の通り。それでもさまざまな思いが頭をよぎると思うよ。

「日本は僕のファンが最も多い国だと思う」

今年の夏にスルガ銀行カップで来日した際、日本のファンから受ける愛情に驚かされたという 【写真:アフロスポーツ】

――そうそうたる戦力を擁するバルセロナにおいて、最も尊敬している選手は誰ですか?

 バルサはチームとしても一流。僕らが目の当たりにしているのは、サッカー史上最高のチームの1つだからね。でもFWである僕がとりわけ注目しているのは前線のトリデンテ(メッシ、ネイマール、スアレス)だよ。たくさんのDFを並べて守備を固められた際、僕なら崩すのが難しいと考えてしまうところだけど、彼らは驚くほど容易にその守備組織を突破してしまう。彼らのパスワーク、1つ1つの動き、ボールの置きどころやパスの受け方などには、いちいち感嘆させられているよ。「何て難しいことを簡単そうにやってのけるんだ」ってね。ファンタスティックな選手たちである彼らは、あらゆる局面を最善の形で解決してしまうんだ。

――クラブW杯でバルセロナとの決勝が実現すれば、2006年のW杯を共に戦った仲間であるメッシと対戦することになります。

 バルセロナでも彼がトップチームに参加し始めた頃、何度か練習で一緒になったよ。その後ほどなく僕が移籍したわけだけど、同じ時を共有することができた。僕にとって彼は世界最高の選手であり、マイケル・ジョーダンやロジャー・フェデラーのように、スポーツ界に時折現れる天才の一人だ。人々が彼をリスペクトしているのは、ピッチ上のプレーを通して見る者を楽しませてくれるからだ。僕に言わせれば怪物だよ。

――メッシは練習から他の選手たちとは一線を画すプレーを見せてきました。

 小さい頃からそうだったよ。バルセロナでは彼の話題で持ち切りだった。「ものすごい選手になるアルゼンチンの小僧がいるぞ」ってね。いつもシャビと「いつか彼のプレーを見てみたいね」と話していたものさ。そして実際にそのプレーを目の当たりにした際、彼が他とは全く異なる選手であることに僕らは気づいた。とはいえ、ここまで急激に進化を遂げ、あらゆる記録とタイトルを総なめにしてしまうとは思わなかったけどね。彼がこれまで描いてきたキャリアは尋常じゃないよ。

――あなたは日本でのプレー経験が豊富です。8月のスルガ銀行カップで来日しただけでなく、06年にはバルセロナの一員としてクラブW杯に参加しています。

 日本に来るたび敬意を抱かされるよ。人々の熱狂ぶりは信じられないほどだ。今夏にスルガ銀行カップを戦った際も驚かされたね。これまでバルサや他のチームの一員として何度も日本を訪れてきたけど、そのたびに人々から受ける愛情には驚かされ続けている。恐らく日本は僕のファンが最も多い国だと思う。

 遠く離れた異国でなぜここまで愛されるのかは、僕には説明のしようがないよ。人々が何を考えているのか分からない部分もあるしね。だから日本に戻るたび、いつかここにサッカースクールを作るなりして、何らかの恩返しがしたいと思っているんだ。何事も丁寧で優しい人々だよ。もしかしたら世界的なビッグクラブが遠く離れた場所にあり、滅多に見ることができないことが、余計にファンの熱を高めているのかもしれない。彼らがスペインなどヨーロッパの国を訪れて試合を見るには、膨大な費用とコストがかかるわけだからね。

――クラブW杯の舞台で、マスチェラーノとジェラール・ピケの間で動き回る自分の姿を想像できますか?

 もちろんプレーしたいよ。でもまだ大会までには時間がある。日本のピッチに立ち、両チームでのプレー経験を持つ自分にとって特別な1日を堪能できたらいいね。クラブW杯に出場するチャンスなど滅多にないんだから。

(翻訳:工藤拓)

2/2ページ

著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント