日本フェンシングを変えたオレグコーチ 五輪のメダルへと導いた強化活動の要因

田中夕子

太田からの「指導してほしい」という言葉を待つ

監督・コーチは選手のモチベーションを向上させるため、接し方にも注意が必要だ 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

――選手とコミュニケーションを図る際、まず意識したことは?

 大きな目標として、日本というチームで強くなる、ということがありますが、そのためには1人1人の目標があり、個人のレベルも違います。デリケートに接しなければならない選手もいれば、厳しく接していかなければならない選手もいます。それぞれを見極め、接し方を変えなければなりません。技術のみならず、日本の代表として強くなりたいというそれぞれのモチベーションをどう向上させるか、それこそが強くなるために不可欠なポイントだと思っていました。

――当時、太田選手はオレグコーチの指導を受けず、どちらかと言えば反発していたと聞きました。太田選手との関係はどのように築かれたのでしょうか?

 彼はひときわ目立った選手であり、誰よりも可能性のある、未来ある選手でした。ですから、彼が私に対して反発してきた時も無理に自分から歩み寄ろうとはしませんでした。なぜなら常に、重要なのは指導者ではなく選手だからです。こちらから押し付けて指導をするのではなく、私は私の仕事をして、彼も彼のペースで進む。私自身も指導者としての経験を高め、成熟度を増した時に彼とマッチする瞬間が来ればいい、と思っていました。

 就任して3年が過ぎた06年頃でしょうか。周りの選手が少しずつ国際大会で勝てるようになった中、太田選手はなかなか勝てなくなり、何かを変えなければならない、と感じ、彼から「指導してほしい」と望んできました。その瞬間を私も待っていました。その後、08年には五輪で銀メダルを獲得したわけですが、人々の注目も変わり、環境も変わりました。何より大きかったのは、太田選手の勝利が、他の選手たちにとっても自信にもつながったことです。目の前に「五輪でメダルを獲る」という偉業を成し遂げた選手がいて、それを間近で見ることで、世界と戦ううえでの具体的な指標が与えられました。何のために練習して、何のためにフェンシングをするのか。具体的な目標が見え、それぞれの意識が大きく変化しました。今、日本のフェンシングは発展の時を迎えています。それは太田選手がメダルを獲得し、フルーレで成功したことが全体のレベルや環境を引き上げることにつながったと思っています。

先を見て準備していくことが重要

指導者も常に勉強、努力が必要。重要なのは『ガマン』 【スポーツナビ】

――今後も日本のフェンシングが強豪国として活躍し続けるためには、どんな強化策が必要だと考えていますか?

 日本のスポーツ界の良くない傾向として、スタートとゴールを先に決めて「そこまで頑張ろう」というだけで終わってしまうこと。これは非常に良くないものです。人生が続いていくように、スポーツの世界も1つの五輪が終わっても続いています。私たちはあくまで一定の段階だけに関わっているだけではありますが、世代交代も常にありますので、太田選手や千田健太選手など、五輪に出場してきた選手だけでなく、松山恭助選手など10代の若い選手たちを育てていかなければなりません。常に1つのスタートとゴールだけを見るのではなく将来を考え、次を考えること。成功は1つの大会だけで得られるものではなく、結果を出せなかったからといってそれで終わりというものではありません。結果が残せなかったから、と設備や環境、活動資金を奪われてしまうというのはとても良くないこと。結果や成績ももちろん大切ですが、それだけにこだわるのではなく、どんどん先を見て準備していくことがとても重要なことです。

――フェンシングのように「変えたい」と思いながらも変えられずにいる競技も多くあります。日本のスポーツ界に向けた提言をお願いします

 非常に難しい質問ですが、まずすべきはそれぞれが抱える問題を探ることです。外国人の専門家を呼べば解決する問題かもしれませんし、練習の仕方自体に問題があるかもしれません。そういったことを細かく分析して強化に臨む必要があります。

 私自身が03年に来日した直後の、ある女子選手の例をお話ししましょう。彼女は教師をしながら仕事の後に2時間ほど練習し、試合がある時に東京へ出てきて試合をするという状況でした。試合で負けて泣いていた彼女の姿が私にはあまりにも不思議で、「何で泣いているんだ?」と聞きました。すると彼女は「勝てなかったから」と答えました。私はもう一度聞きました。「君はその練習量で中国やイタリアの選手に勝てると思ったのか? 彼らは1日8時間練習しているのに、1日2時間練習したあなたが勝てると思っていて、それが叶わなくて悔しくて泣いたのか?」と。

 なぜ負けたのか、勝てないのか、その理由は現実的に、細部を見ていかなければ分かりません。練習量や内容、環境を見て本当に世界で勝てる理由があるのかを分析し、足りないことは何かを明確にする。そこから解決していかなければ何事も変わりません。何が問題なのか、それを探り、解決することがとても重要です。

――では最後に、オレグコーチが指導者として最も大切だと考えることを教えて下さい

 指導者も常に勉強、努力をして知識を更新し、向上することがとても大切です。そしてそれ以上に大切なのが、我慢をすること。「絶対に負けない」と自分に言い聞かせれば成功すると言われますが実際はそうではありません。成功する時もあれば、負ける時もある。その時に歯を食いしばって耐えること。それが指導者に求められるものであり、とても重要な要素です。教えるための知識や技術よりも忍耐力が一番。(日本語で)『ガマン』がダイジです(笑)。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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