西口文也が21年間貫いた“スタイル” レジェンドは後輩、ファンに愛された

中島大輔

生きる見本となった現役晩年

引退試合となった28日のロッテ戦には、多くの観衆が詰めかけ声援を送った 【写真は共同】

 現役を退く前、西口に聞いてみたいことがあった。この21年間、投げることを怖いと感じたことはあったのだろうか。そう質問すると、西口は即答した。

「ないですね。投げるのが仕事なので。怖いと思っていたら、その時点で終わっています」

 とりわけ現役晩年、西口の打者に向かっていく姿勢はチームにとって生きる見本だった。10年9月2日、オリックス戦に先発して6回無失点に抑えた右腕に対し、当時の渡辺久信監督(現シニアディレクター)はこう称えている。

「ファームを経験してはい上がって、気持ちが出ている。死に物狂いでいっている。160勝以上(当時)しているピッチャーがなりふり構わずに腕を振って、なんとかしてやろうとなっている」

 西口と言えば、「練習嫌い」で有名だ。本人は、「最低限の練習はやっていましたよ、ノルマは(笑)。それ以上のことを若いときはあまりやっていなかっただけで」と振り返っている。

 だが、牧田の目には決して「練習嫌い」とは目に映っていなかった。

「西口さんの練習量は少なく見えるかもしれないけど、中身は濃いですからね。自分が42歳だったら、あんなに軽やかに走れません。今は知っている人間がいないけれど、若いときは死ぬほど走っていたみたいです。今の西口さんは練習をしてすぐに上がるので、若い選手はそれでいいと思ってしまうかもしれない。でも僕は、若いときの姿を涌井から聞いています。そういう涌井もすごく走っていますからね」

チームに継承される「レジェンド」の意志

 西口は21年間「マイペース」を貫き通したと振り返ったが、その言葉はさまざまに解釈できる。牧田は先輩の姿を見て、同じ投手として感じるところが大きかった。

「西口さんは自分が考えてやっています。蓄積があるから、今がある。自分で何が足りないかと考えて練習しないと、上には行けません。僕はアンダースローなので、下半身を使って投げないといけない。だから走ったり、ウエイトをやらないといけないと、あらためて気づきました。自分で考えてやらないと、時代が進んでいきますからね。昔なら『先輩があれだけやっているなら自分もやらなければ』となるんでしょうけど、時代は進んでいるので、今は自分で考えてやらないといけない。強い意志を持ってやらないと、この世界ではやれません。西口さんの引退で、そういうことをあらためて考えました」

 9月28日のロッテ戦で西口は21年間の現役生活を締めくくるマウンドに立ち、大観衆の声援とともにユニホームを脱いだ。試合後、「西武に残せたものは何か」と聞かれると、こう答えている。

「自分自身としては必死でやってきた21年間なので、何を残してとか、そういう思いはなく、ただただ自分のスタイルを貫き通してやってきただけなのでね。その姿を見て、選手がどう思ってくれているかは分かりません。それだけですね。自分は本当に一生懸命やってきた21年間なので」

 後輩やファンに愛された西口の意志は、確かにチームに継承されている。少なくとも9月28日、「レジェンド」と言われた男を送り出す西武プリンスドームの雰囲気は、そう物語っていた。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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