「ドライバーの度胸が試される130R」 ベルガーが教える鈴鹿サーキットの魅力

田口浩次

鈴鹿はスパの次に好きなサーキット

87年日本GP、ベルガー氏はフェラーリで鈴鹿サーキットを駆け抜け、見事に優勝した(写真はオーストラリアGP) 【田口浩次】

――続いては、自身の経験を振り返ってもらいましょう。この鈴鹿サーキットの魅力はどこにありますか? あなたは87年に初めて鈴鹿サーキットで開催された日本GPの優勝ドライバーです。

 鈴鹿はすべてが魅力的だ。このサーキットは本当にエキサイティングなコースだと思う。僕にとって、お気に入りのサーキットは世界に4つある。いや、5つかな。鈴鹿はその1つだよ。鈴鹿、スパ・フランコルシャン(ベルギー)、昔のオーストリア、アデレード(オーストラリア)、そしてモントリオール(カナダ)だ。この5つが僕の大好きだったサーキットさ。ドライバーとして一番好きだったのはスパで、鈴鹿は2番目に好きなサーキットだ。

――今、名前を挙げた中で、モントリオールは随分キャラクターが違うサーキットという印象があります。

 そうだね、でも、僕はあんなふうにスリッピーなサーキットが好きなんだ。あと、古い時代の話なので、あなたは知らないかもしれないけど、モントリオールとアデレードはサーキットタイプとしてすごく似ていたんだ。そして昔のオーストリア、スパ、鈴鹿もオールドコース特有のレイアウトや、ドライバーとして受け止める感覚が似ている。この2つのスタイルが僕の好みだった。

 鈴鹿で注目すべきコーナーはやはり130Rだよね。ここがドライバーにとって一番挑戦的なコーナーだった。ランオフエリア(走行路の外側にある退避スペース)がなくて、当時のマシンはフラットアウト(アクセル全開)で行けるか、それとも少しだけアクセルを戻すか、という選択をドライバーに迫るんだ。当然ドライバーはフラットアウトで行きたいけど、ランオフエリアはないし、ドライバーの度胸が試された。僕は当然フラットアウトだったけどね(笑)。

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90年代の進化はドライバーのためではない

――87年の日本GPでは、あなたが乗るフェラーリだけが130Rを6速フラットアウトで走行したことは、オールドファンの語り草となっています。あなたは電子デバイスなんて言葉もない時代から、セミオートマやアクティブサスペンションといった、さまざまな電子デバイスが導入されていった創生期を知る数少ないドライバーだと思います。そうした時代の変化は楽しかったですか?

 うーん、さまざまな電子デバイスの導入は技術的には素晴らしいことだったと思う。だけどね……。正直、毎年のように新たなデバイスが投入されることには、ドライバーとしてはいっぱいいっぱいだった。マシンが電子デバイスによって進化するごとに、ドライバーとしては求めているものとは違った方向に進化が進んでいったと感じていた。僕自身、80年代後半のマシンを懐かしむようになった。もちろん、90年代はマシンとして進化したんだろうけど、それはドライバーのためではなかった。ドライバーが求めているものとはどんどん乖離(かいり)していった時代だったね。

――昔の単純な円形ステアリングが懐かしいと感じる世代ですね。

 そうだね。今、昔の写真を見て懐かしいと思うのは、現在はステアリングが円形ではなく、台形となっているからだ。円形ステアリングをやめたきっかけは、たぶん僕も大きな理由の1つだったと思う。というのも、僕は当時のドライバーとしては背が高くてね、マシンのステアリングを切り込むときに、足元が邪魔して円形のままだとコーナーへのアプローチが難しかったんだ。そこで、下側が直線になった台形のステアリング形状を取り入れた。僕はそうしたモデファイ(改修)を取り入れた初期のドライバーの1人なんだ。

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