元日本代表の2人が今治に求めたもの 山田卓也×市川大祐対談 <前編>

宇都宮徹壱

それぞれの今治に加入した経緯

岡田武史オーナーとは長年連絡を取っていなかったという市川。今治での新しい挑戦に魅力を感じたという 【宇都宮徹壱】

――山田選手は米国で5シーズンにわたりプレーして、それから今度は活躍の場を四国リーグに移すことになったわけですけれど、決断に至った経緯を教えていただけますか?

山田 もともと今シーズンも米国でやる予定で、オフシーズンに帰国したんです。そしたら、その間に監督とGM(ゼネラルマネジャー)が代わっていて、新しい監督は「40代の選手なんて考えられない」という人だったんです。だからチームに戻ってきても何の保証もないから、新しいチームを探してくれっていう感じだったんですよね。

――それは何月頃の話ですか?

山田 去年の12月から今年の1月くらいですね。そうは言われても、向こうで指導者ライセンスの合宿に申し込んでいたし、家もあるので、3月までプレシーズンに参加した後、日本と米国を何度か行ったり来たりしているときに、岡田さんと日本でお話する機会があったんです。そこで今治の話を聞いて、最初は「夢があっていいですね」みたいな感じだったんですけれど、2度目にお会いしたときに「ウチに来てくれないか」という話になって。それが6月ぐらいでしたかね。

――市川選手は藤枝MYFCに2シーズン所属していましたけれど、あまり出番がなかったですよね?

市川 1年目は右膝の大きな手術をして、9月の天皇杯でいったんは復帰したんです。そしたら今度は筋肉系のけがが続いてしまって……。でも、手術した膝の状態は良くなっていて、藤枝からは今季もオファーをいただいていたんです。でも、新しい挑戦をしてみたいと思うようになって、自分から退団を申し出たんです。

――じゃあ、今年はフリーの状態だったんですね。

市川 そうです。今年は自分のリズムでしっかりコンディション調整をしようと思っていたところに、いきなり岡田さんからお電話いただいて。実は岡田さんとは17〜18年くらいご無沙汰していたんです。知らない番号が表示されたので、誰だろうと思って出てみたら「岡田です」って(笑)。

――それはいつ頃ですか?

市川 6月の終わりぐらいです。

――じゃあ今治というか岡田さんは、山田選手と市川選手を同時進行で獲得しようと動いていたんでしょうね。

山田 そうですね。長いスパンでのクラブ作りを考えていたのが、今年どうしても(JFLに)上がりたいということで補強策を考えたときに、たまたま移籍金がかからない選手がいたと。僕ら自身も、良いタイミングで拾ってもらったというのはありますね。

決め手は選手として必要とされたこと

今治加入の決め手は選手として必要とされたこと。サッカーに集中できる環境を楽しんでいる 【宇都宮徹壱】

――岡田さんからオファーを受けた際、「よし、今治でやってやろうという」という決め手となった言葉ってあります?

山田 何度も連絡をとるうちに「本当に必要とされているんだな」と感じるようになっていました。長年、選手をやっていると思うんですよね。カテゴリーは下がっても、本当に必要とされているところでやれるのが一番幸せだって。特に今治の場合、ゼロからつくり上げるチームだし、いろいろ興味あることがこのクラブには詰まっている。それと海もあるし山もあるし、ご飯もおいしい。グッドライフが待っているんじゃないかと(笑)。

――大きいですよね、それは(笑)。市川選手はどうですか?

市川 僕も「これだ」っていうのはないんですけれど、最初にお話をいただいたときは、こっちでプレーするかどうかはまだ決められていなくて、とりあえず今治に来てみたんです。その時にメソッドのコーチをしている吉武(博文)さんや監督の木村(孝洋)さん、ほかにもいろいろなスタッフの方と話をしているうちに、今まで感じなかった新鮮なものを感じるようになって。僕の場合、高校からそのままトップチーム(清水エスパルス)に入って、ずっとプロとして経験を積んできましたけれど、こっちに来てからは「自分が知らなかったことや、感じられなかったものを学べるんじゃないか」ということを思うようになりましたね。

――お二人とも、ただプレーの場を求めるだけではなくて、FC今治というクラブから何かを学んだり吸収したりすることが重要な要素だったんですね?

市川 要素としてはそうですね。でも第一は、やっぱりプレーヤーとして必要としてもらえたということですし、自分も勝負をするためにここに来ているわけですから。

――こちらに来て1カ月くらいだと思いますが、環境面では慣れましたか?

市川 僕は慣れましたね。清水にすごく環境的に似ているんですよ。海も山もあって、ミカンもあって(笑)、気候的にも似ている。本当に暮らしやすいですね。サッカーをやる上で何も不自由は感じていないですし。

山田 正直、地域リーグということもあって、ハード面では何も期待していなかったです。ただ僕自身は5年ぶりに日本に戻ってきて、やっぱり食事がおいしいとか便利だとか、すごくありがたく思っています。僕自身、中途半端にアメリカナイズされて帰ってきた部分もあるので、時々「これが米国だったら」と思うこともあるんですけれど、借家の大家さんがフルーツや野菜を差し入れしてくれたりすると「これって温かいなあ」って感じることもよくありますね。

市川 サッカーに集中できる環境があればいいと思っているので、そういう環境でやらせてもらえているのはありがたいですね。それに今は四国リーグですが、カテゴリーが下だからといってもサッカーのルールは変わらないですから。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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