タレント性で劣る東福岡の例年と違う武器 総体連覇も選手権に向けより厳しい競争へ

川端暁彦

下にいる部員が上を目指す東福岡

昨年のチームよりもタレント性では劣るが、そのコンプレックスを力に変え、東福岡は下克上を果たした 【写真は共同】

 競争と言えば、300名近い部員を擁し、その部員を細分化して各種のリーグ戦に参加している東福岡のやり方も特異なものがある。Aチームは最高峰の高円宮杯プレミアリーグにエントリー。Bチームは福岡県1部リーグ、Cチームは同2部、Dチームは同3部という具合である。他の多くのスポーツでは考えにくいことだが、サッカーでは複数チームが年間を通じて行われる公式のリーグ戦にエントリーできるようになっている。当然ながら選手の入れ替えもあり、競争の中で選手を鍛えて選び抜いていくのが東福岡スタイル。現在とはリーグ戦のシステムが大きく異なっているが、OBの長友佑都(インテル)も厳しい競争関係の中で無名選手から「下剋上」を果たしてレギュラーを勝ち取った一人であり、下にいる部員が上を目指すという精神性は伝統として息づいている。加えて野球やラグビー、バレーなど運動部が軒並み全国区の強豪であり、部活間での激しい切磋琢磨(せっさたくま)があるのも、変わらぬ東福岡スタイルだ。

 選手発掘、リクルーティングにかけるパワーも突出して高い。今年で言えば、2年生MF藤川虎太朗のような中学年代の有名どころも引っ張ってくるが、同時に未知の雑草の発見にも余念がない。決勝戦や、山場だった四日市中央工の2回戦(4−1)など要所で貴重なゴールを決めたMF三宅海斗は岡山県倉敷市内の中学校チームでプレーしていた選手。「チームは県のベスト16くらい」だった男は、東福岡からのオファーに心底驚いたというが、この網の広さこそが強さの秘密であることは想像に難くない。こうして集めてきたエリートと雑草を競わせて、選び抜かれた11人が全国大会のピッチで戦うのである。

例年よりもタレント性で劣る世代

 ただ、「今年の東福岡は厳しい」という評価もあった。今年の3年生は思ったように選手が集まらず、例年よりもタレント性で劣る世代だという声である。実際、MF増山朝陽(ヴィッセル神戸)、中島賢星(横浜F・マリノス)と二人のプロ選手を輩出し、夏の総体を制した昨年のチームに比べると、個々の絶対的な力で見劣りしたのは否めない。森重潤也監督も新チーム立ち上げ当初から、いや大会が始まってなお弱気なコメントに終始していた。MF鍬先祐弥は「先輩は本当にすごい選手たちだった」と言い、実際そこにはある種のコンプレックスもあったに違いないのだが、そのコンプレックスを裏返して力に変え、下剋上を果たすのが「長友魂」でもある。

 ハードワークと団結力という例年とはちょっと違った武器を前面に出しつつ、しかしU−17日本代表GK脇野敦至や前述の藤川のような特別なタレントも要所に散りばめ、結果として好バランスのチームに仕上がった。下級生が多く試合に出ていることもあって、伸びしろも感じさせるチーム。「去年は夏に優勝して難しくなったけれど、今年は違う」と主将のMF中村健人は言い、森重監督は優勝直後「もう遠征をしている別のチームがある。彼らはここにいる17人を抜くつもりでやってくれるはず」と競争の激化を明言。その競争がうまく作用すれば、より面白いチームに仕上がってきそうだ。

選手権に向けた激しく残酷な競争

 冬に向けてという意味では、例年以上に攻撃のタレントが目立った大会でもあった。いずれも早期敗退となったが、U−18日本代表に名を連ねるFW一美和成(大津)と小川航基(桐光学園)はそれぞれ才能を誇示するようなゴールを複数記録。プロ入りへのアピールを誓っていた技巧派MF山本蓮(久御山)、司令塔タイプのMF山本悠樹(草津東)もそれぞれ個性を発揮してチームを助けた。4強入りした関東第一の2年生MF冨山大輔のように、それまで知られていなかった選手も多くのスカウトのメモに名を残すことになった。

 ここから選手権までおおよそ4カ月半。総体出場55校はまず各地のリーグ戦を戦いつつ、秋の高校選手権予選予選に備えることになる。選手権出場校は48なので、単純に考えても7校が落ちることになる。市立船橋が出る千葉県予選のように、特別な激戦区もある。初の4強で大会を沸かせた関東第一の小野貴裕監督が「絶対に甘くない」「厳しい戦いになる」といった言葉を繰り返し、気を引き締め直していたのは何とも印象的だった。

 チーム内での競争と、チーム間での競争。この激しく、ときに残酷ですらある戦いが、日本の高校サッカーをより強く、より逞しいものにしていることは間違いない。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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