男女混合デュエットでシンクロ界に新風 かつての名選手も復帰、新たな魅力も発見

田坂友暁

男女混合ペアによるミックスデュエットが初開催。日本の安部・足立組も健闘を見せた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 安部篤史(トゥリトネス水泳部)と足立夢実(国士舘シンクロクラブ)の2人が、ロシア・カザンの地で、世界選手権のシンクロナイズドスイミングで初採用となった男女混合ペアによる「ミックスデュエット」という新しい種目に出場した。

 規定エレメンツを盛り込み、どれだけ正確な演技をこなせるかを競うテクニカルルーティンでは5位、そして芸術性と技の難易度を重視した演技そのものの評価で争うフリールーティンでは7位という結果を残し、日本シンクロ界に新しい歴史の一ページを刻み込んだ。

 2人を指導した花牟礼雅美コーチは、フリールーティン終了後にこう話した。
「本当に胸がいっぱい。たった5カ月で世界の舞台に立つために練習をしてきましたが、初めてのことばかりでどうなるか分からない不安もありました。でも、第1回となる記念すべき大会で、よく泳ぎ切ってくれた2人に感謝の気持ちでいっぱいです」

世界では珍しくない男子シンクロの世界

 シンクロの歴史をひも解くと、記録に残っているのは1892年にイギリスでスタントスイミングで始まり、当時は男性のスポーツだったということ。明確な文献は残っていないが、シンクロナイズドスイミングという言葉が生まれた1934年ごろから、競技者は女性が中心となっていき、73年の世界選手権、84年のロサンゼルス五輪でそれぞれ正式種目として採用されて以来、女性によって行われ続けてきた。

 しかし、世界では「メンズカップ」という男子シンクロの世界大会が行われており、2009年に第1回大会が開催。以後2年に1回の頻度で行われている。今回、ミックスデュエットに参加した米国のビル・メイもメンズカップに出場経験があり、安部は09年大会と11年大会の2大会連続で優勝を果たしている。こうした世界大会が行われるほど、世界では男性のシンクロナイズドスイミングは珍しくない。

 日本でも安部が所属しているトゥリトネスという団体が、水中パフォーマンスショー集団としてさまざまな活動を行っており、そこで男性もシンクロを行っている。だが、競技としては発展しておらず、地方のシンクロクラブには男子部員もいるのだが、大会に参加する機会はなく、そのまま水から離れていってしまうのが現状だ。

たった5カ月で駆け上った世界への階段

花牟礼コーチ(中央)の指導の下、安部・足立組はペア結成からたった5カ月で世界の舞台に立った 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 競技としての男子シンクロが日本で一躍有名になったのは、14年に発表された世界選手権でのミックスデュエット採用の一報だった。各国、どんな選手が出てくるのか分からず、全く情報がない状態ではあったが、日本も出場を決めて2月に選考会を開催。そこには14歳から46歳までの5人の選手が集まり、演技を披露。シンクロ競技そのものの採点方法で選考し、そこでメンズカップという世界大会での優勝経験のある安部がダントツの演技を見せたのだ。

 表現力に長けていた安部だったが、シンクロ競技としての経験はなく、一つ一つの技を見ていくと、全くシンクロの基礎すらできていない状態だった。ペアを組むことが決まった足立は元日本代表のソリスト。実力の差は明らかだった。毎日長時間に及ぶトレーニングを行い、体は満身創痍(そうい)の状態。しかし、安部はくじけることなく、日本代表が決定してから5カ月後、見事世界の舞台で演技を披露できるレベルまで駆け上ったのである。

「フリールーティンの決勝が終わって、ステージを降りるときに『あ、最後なんだ』と実感しました。終わった安心感もありますが、寂しさもあります。ずっと苦しい練習ばかりでシンクロが嫌いになりかけましたけど、それ以上に楽しいこともあって、今は以前よりもずっとシンクロが好きになりました」

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著者プロフィール

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かした幅広いテーマで水泳を中心に取材・執筆を行っている。

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