JTが果たした「大きな価値のある優勝」 チームの変革を促した名将と越川の存在

市川忍

あと一歩のところで頂点には届かず

なかなか頂点にたどりつけなかった時代を知る酒井(写真)は「今日の優勝で報われた」と語る 【写真:アフロスポーツ】

 創部から84年とJTサンダーズは日本で最も古い歴史を持つチームだが、実は創部当時の明確な記録は残っていない。1945年8月6日、広島に投下された原子力爆弾によりJT(当時は広島地方専売局)の工場とともに消失したからだ。

 しかし翌年、たばこの製造再開とともに、バレーボール部も細々と活動を始める。一人の社員が「バレーボールをしよう」と、焼け残った1個のボールを持ち出したのがきっかけだった。傷ついた心をバレーボールが癒してくれると考えたのだろう。

 ミュンヘン五輪の金メダリスト、故猫田勝敏を輩出するなど強豪チームとして認知されてきたが、優勝には縁遠かった。日本リーグ時代も含めると過去7度、決勝の舞台に挑んでいるが、あと一歩のところで頂点には手が届かなかった。最も優勝を期待されたのは99年に日本の男子チームとしては初めて、複数年で契約を結んだパルシン・ゲンナジーが率いた7シーズンだ。3度、優勝決定戦に駒を進めたが、その3度ともサントリーに敗れている。当時のサントリーのエースが、現サントリー監督のジルソン・ベルナルド。実に因縁めいた決勝戦だった。

 ただし、チーム内でその戦いを知るのは03年当時、内定選手として試合を見ていた酒井大祐と町野仁志の2名しかいない。酒井は言う。

「個人的には大きなケガで1シーズンを棒に振ったこともあるし、チームは入れ替え戦に行ったこともあって、何度も『なぜバレーボールを続けているんだろう』と考えました。いろいろなことがあった11年間でしたけれど、今日の優勝でその思いが報われた気がします」

新しい歴史はすでに始まっている

天皇杯でも優勝しており、目指すは黒鷲旗も含めての三冠達成だ 【写真:アフロスポーツ】

 酒井の言葉はこれまで優勝を夢見続けてきた先人たちの思いを代弁する言葉でもある。84年という気が遠くなるような長い歴史の中、戦火の中から立ち上がり、猫田というチームの英雄の急逝や、不況によって他のバレーボール部が次々と倒れていく中でも、逆風に負けず、一途に優勝を目指し続けてきた。外国人監督に門戸を開くため尽力したスタッフや、決勝戦で幾度も夢を打ち砕かれた選手など、JTサンダーズに携わってきた者一人一人の努力が実を結んだ「大きな価値のある優勝」である。

 町野は振り返る。

「これまでも決して(勝つことを)あきらめていたわけではないんです。でも勝つことを体験して初めて、こうすれば勝てるという方法が分かるし、練習に臨む心境も変わる。勝った人にしか分からないことがたくさんあるのだということを、去年の準優勝や天皇杯の優勝で知りました。それによって生まれた自信が選手を変え、チームを変えたんだと思います」

 JTはこのあと4月12日に韓国で開催される日韓トップマッチに日本代表として出場する。5月には黒鷲旗(全日本選手権)も控えている。

「天皇杯、Vプレミアリーグ、黒鷲旗の三冠達成は絶対に成し遂げたい」(越川)

「今日の決勝も、普段の1試合も、ファイナル6へ進んでからの1試合も同じ気持ちで戦えました。これで終わりじゃない。次に向かって準備をしたい」(町野)

 JTサンダーズの新しい歴史はすでに始まっている。

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著者プロフィール

フリーランスライター/「Number」(文藝春秋)、「Sportiva」(集英社)などで執筆。プロ野球、男子バレーボールを中心に活動中。

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