強く賢く、戦えるキャプテン遠藤航 指揮官が信頼するアジアの厳しさを知る男

川端暁彦

中学までは高い評価を受けられず

湘南にはU−18でスカウトされて加入。現在はトップチームでポジションをつかんでいる 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 同大会で印象的だったのは、大熊氏から遠藤を紹介された協会のスタッフがメンバー表の前所属チームを見て「えっ、中体連(中学校の部活動)の選手なの?」と言ったのを受けて、「中体連だから何なんだよ!」と大熊氏が言い返した場面だ。冗談交じりのやり取りだったが、神奈川県横浜市というクラブチームの選択肢が無数にあるエリアで、中体連に有力選手が残っているケースは少ない。だからこそ驚きがあったのだろう。

 遠藤が横浜市立南戸塚中学校という、必ずしも強豪とは言えないチームでプレーするようになったのは、Jクラブのジュニアユースチームのセレクションで落ちてしまったからだった。要するに、小学校時代の遠藤はあまり高い評価を受けている選手ではなかった。中学生になっても年代別代表はもちろん、県の選抜にすら彼の名前を見いだすことはできない。その資質に気付く指導者がいなかったという言い方もできるし、2月生まれの遠藤は同学年の4月や5月に生まれた選手に比べて、発育スピードという意味で不利だったという面もあるだろう。

 ただ、観ている人は観ているもので、高校入学に際して遠藤は地元から少し離れたクラブ、湘南ベルマーレのU−18チームにスカウトされて加入することとなった。当時の監督が現在トップチームの指揮を執るチョウ・キジェ、その人である。

リオ五輪予選で3度目の正直となるか

過去に2度AFC U−19選手権で敗れている遠藤。リオ五輪予選で3度目の正直となるか 【写真:FAR EAST PRESS/アフロ】

 その運命的なボーイ・ミーツ・コーチを機に、遠藤は湘南においてトントン拍子で出世していくのだが、日本代表としては勝ち運に恵まれていない。飛び級で出場した2010年のAFC U−19選手権は韓国FWに粉砕されて大逆転負け(2−3)で世界への切符を逃し、自身が主軸中の主軸となってリベンジを図った2012年のAFC U−19選手権でもイラクに敗北(1−2)。やはり世界大会への出場を果たせなかった。

「アジアの厳しさは知っている」

 リオ五輪を目指す“手倉森ジャパン”の発足当初、遠藤はそんな言葉も残した。偽らざる言葉であり、覚悟もこもった言葉だった。そんな彼に来年1月に行われるAFC U−23選手権(リオ五輪アジア最終予選)についてどう観ているのか聞いてみた。

「代表を背負う覚悟を一人ひとりが持ち続けないといけないですし、代表選手としてのプレーを所属チームに帰ってもやり続けないといけない。やっぱりメンタル的にいかに良い準備ができるのか。戦う覚悟ができているかということだと思います」

 徹頭徹尾、精神論。清々しいまでのその言いっぷりに、まさに“戦う覚悟”を感じた。遠藤にとって3度目の正直となる「アジアの戦い」。その舞台に臨むリオ五輪代表には、強く賢く、何より戦えるキャプテンがいる。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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