辛勝のベトナム戦でU−22が得たもの チームとしての経験と競争による刺激

川端暁彦

負ければ終わりの中で逃げ切った価値

中島(中央)の2得点でベトナムに勝利。1次予選突破に向けて大きく前進した 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 1−0。

 前半43分にスコアボードへと刻まれた数字は、なかなか動いてくれなかった。その1点を刻んだMF中島翔哉は「セットプレーとかで相手のチャンスもあって、1−0というスコアは怖かった」と率直に振り返る。記者席からも感じ取れるヒリヒリとした日本側の緊張感と、大したチャンスでなくとも激しく盛り上がるベトナムサポーターのコントラストが印象的だった。

 筆者も「早く追加点を取って、楽にしてくれ!」と思っていた一人なのだが、途中から「これはこれで悪くないよな」とも思っていた。選手たちにはすさまじい緊張感があって、ストレスが掛かっているのだが、これもまた一つの経験。追加点があれば楽になったのは確かだが、負ければ終わりという緊張感の中で「虎の子の1点を背負って逃げ切る」というのもまた得難い経験である。チームのゴールは「AFC U−23選手権予選」ではないし、その本大会、そしてリオ五輪、さらにその先へと羽ばたいていくべき選手たちなのだ。試合途中からは、「逃げ切ってみせろ」。そんなことを思っていた。

 くしくも同じようなことを思っていた人物が日本のベンチにもいた。手倉森誠監督は「1点、2点、3点と取って早めに決着がつくよりも、こういうゲームで鍛えられたほうがこの年代はいいだろうな」と思っていたことを明らかにした。負けてしまっては元も子もないとはいえ、苦しみながら勝てればチームとしても個人としても財産になる。このベトナム戦は、そういう戦いとなった。

失点しないことを最優先に構えるベトナム

守備を固めるベトナムを前に追加点を奪えず、緊張感のあるゲームが続いた 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 日本を迎え撃ったU−22ベトナム代表の三浦俊也監督は、この日の試合展開を「ある程度はシナリオ通りだった」と言う。通常4枚で組むディフェンスを1枚増やした5バックを採用。「守備を重視した」というシンプルな理由に基づく布陣変更で日本に対抗した。

 第1戦でマレーシアに2−1で勝っていたベトナムにしてみると、日本戦のイメージは「引き分けでOK」というものだったことは想像に難くない。第3戦の相手が力の落ちるマカオであることを考えてもそうだった。大会前から「勝ち点6」を目標に掲げていた三浦監督にしてみると、本音を言ってしまえば、日本戦は大敗さえしなければいいというものだったかもしれない。グループ2位になっても、各組2位の10チーム中上位5チームに入れば1次予選は突破できる。勝ち点6があれば、その枠内に収まる可能性はある。恐らくそこで問われるのは「得失点差」であることも、この知将は計算に入れていたはずだ。

 攻める側にしてみると、こうした失点しないことを最優先に構えるチームは厄介だ。試合前に激しく降り注いだスコールの影響もあってピッチ状態は劣悪で、日本のパスワークはしばしば乱れて攻撃が形になるシーンは数えるほどだった。主将のMF遠藤航は「雨も降ってスリッピーな状態で、特に前半はミスが多かった」と振り返る。

 それでも43分、FW南野拓実のスルーパスから中島が抜け出し、個人技で持ち込んでの左足シュートを突き刺す。この直後にセットプレーからベトナムがつかんだビッグチャンスをGK櫛引政敏が防いだことで、試合の流れは日本に傾いた。ただ、後半に入ってもスコアが動かず、緊張感のあるゲームが続いたのは冒頭に述べたとおり。日本の攻撃に停滞感があった理由は、何もピッチ状態だけではない。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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