辛勝のベトナム戦でU−22が得たもの チームとしての経験と競争による刺激

川端暁彦

違いは示せずとも、海外組が学んだこと

先発出場も違いを見せることができなかった久保(11番)は、この苦い経験を今後の糧にできるか 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

「(海外組の2人は)ハッキリ言って違いは示せなかったなと思います」

 試合後、手倉森監督は欧州からやって来た2人、南野とFW久保裕也を一刀両断してみせた。そして、こう続ける。

「時差と環境の変化によって、彼ら自身も『プレーに精彩を欠いた』と認めている。ただ、(2人には)『これは一つの経験だ』という話をしました。この中でも質の高いプレーを示さなければいけないと注文は付けました。こういうゲームで苦しみながらも関われていることも、いい経験だろうなと思います」

 この試合が初出場となった久保にしても、初先発となった南野にしても、「輝いた」と言える内容でなかったことは確かだ。特に久保はプレーのリズムが周りと合わず、ボールを受けて前を向くシーン自体が絶対的に少なく、裏へ飛び出す動きも乏しかった。

「全然ダメでした。あんまりいいプレーはできていないと思います。あんまり動けていないし、シュートも打てていない。ゴール前で良いプレーもできていなかった。個人的なフィーリングが合わないことも多くて、トラップミスも多かった」

 久保はそう言って自分自身を酷評した上で、「今日のプレーでは代えられて当然ですね」と55分という早い時間帯で交代を告げられたことに賛意すら示した。

 ただ、これも経験である。

 手倉森監督は2人が機能しない可能性があることを承知で送り出した節すらある。試合前には「彼らは初めて海外から海外の大会へとやって来た。こういうコンディションに自分がなることを知って、それと向き合う必要がある」とも語っていた。思うように動かぬ体を動かす方法を体得し、あるいは少しでも早く環境へ順応する術を学ぶ。これからも欧州でのプレーを続けていくなら、それは避けて通れぬ道である。若い内から慣れておく必要があるし、より厳しい戦いにおいて彼らを代表へ招いたとき(それは未来のA代表においてかもしれない)、「思ったより体がキツかった」と言うようでは困るのだ。

 だから、今ここで経験させておくことの意味は確かにあった。「A代表の選手たちは、海外組であっても(アジアへ移動してでも)しっかりとプレーできている」と唇を噛んだ久保の様子は、この苦い経験が糧となる可能性を感じさせた。

気持ちを見せた交代出場の国内組

エース格ながら途中出場となった鈴木。気持ちを感じさせるプレーを見せた 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 しかし、大胆である。このベトナム戦がそうだったように、サッカーは分からないスポーツだ。しかし、ここでも指揮官はあえて未来に投資している。内心ではドキドキしていたに違いないとは思うのだが、外向きには泰然とした態度を貫いた。大した胆力だし、その投資の成果が見えるのは先の話になるが、少なくとも失敗はしていない。もう一点、久保と南野の招集による効果は「これで国内組も海外組もより競争が激しくなるだろうなと思います」という指揮官の言葉によく表されている。

 55分、久保に代わってピッチに立ったのは、これまでチームのエース格だった鈴木武蔵である。「競争が激しくなっているのは感じている」と語っていた弾丸FWは、登場するやいなや、相手ディフェンスラインの背後を狙うランニングを何度も繰り返していく。それは確かに久保が見せられなかったものだった。献身的な守備への貢献も目覚ましく、火がついたような空気を周囲に感じさせた。

 また81分、南野に代わって登場した浅野拓磨からもまた、みなぎるものがあった。「海外組に負けているとは思っていない」と主張していた小さなFWは、短い時間で結果を出すべく前向きにプレー。アディショナルタイムに植田直通のロングフィードをサイドに飛び出しながら受け取ると、迷わず仕掛けて中島の2点目をアシストしてみせた。リードを奪っていただけに行かなくても良かった場面には違いないのだが、ただ浅野の気持ちは存分に感じられるシーンだった。

 初めてベストメンバーがそろったU−22代表はベトナムに打ち勝ち、1次予選突破に向けて大きく前進した。だが、それだけではない。チームとして経験を積み、個人としてもそれぞれが刺激を受けた。試合内容としては決して褒められるものではなくとも、若いチームと若い選手の未来にとって、価値のあるゲームとなった。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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