クラブと共に、佐々木美行の新たな夢 フィギュアスケート育成の現場から(9)

松原孝臣

「引退するまで倉敷のメンバー」

08年3月、チャリティーショーでウェルサンピア倉敷のリンクに立つ高橋大輔 【写真は共同】

 存続問題に揺れる間、08年3月にはチャリティーショーが行われた。10月の一時的な営業再開イベントがあった。その二度にわたり、高橋が駆けつけ、存続へのアピールを行っていたのだ。

「困ったとき、必要なときは、忙しい中でも、必ず帰ってきてくれるんですよ」
 佐々木は笑顔を見せる。

 高橋にとって、生まれ育ったリンクだ。愛着もある。また、高橋の人柄もあっての協力ではあった。
 同時に、クラブの、生徒を大切にしようという姿勢も大きかったのではないか。

 実は高橋は、昨年の引退まで、倉敷を離れてなお、クラブの一員だった。
 クラブの運営にあたって、佐々木には一貫した方針があった。

「どんな子でも安心して練習できる場所であること」

 そのために、さまざまなクラスを設けている。

「選手を目指す子、文武両道を目指す子、目的もさまざまですし、受験のときは休みたい子もいます。ですから、クラブの中にはSクラスとかFSクラスとかクラス分けがあります。どういう形でもクラスの中に在籍して、自分のレベルに合わせて安心して練習できるようにしています」

 また、倉敷では練習していない選手のためのクラスもある。

「SSというクラスがあるんです。特別な事情があって、普段はよそで練習していて、たまに帰ってくる、というような子のクラスです。大輔君もつい最近までそのクラスでしたし、平井絵己さん(大阪スケート倶楽部)も名簿に名前があります。引退するまで倉敷のメンバーなんです」

リンクが本当の意味で倉敷の財産にならないと

リンクが通年化した今、佐々木は「本当の意味で倉敷の財産になっていかないといけない」と語る 【積紫乃】

 そこには、かかわった子供たちをずっと大切にしていこうという姿勢がある。それもまた、高橋が困ったときには駆けつける要因の1つかもしれない。

 そしてクラブは、「1人で充実した組織にはならない」という佐々木の思いから、運営に誰もがかかわる方針を貫いてきた。保護者をリンクから遠ざけるのではなく、より近いところにいられるようにするのも同じスタンスからだ。

 存続をめぐる危機のとき、結束をもって取り組み、危機を乗り越えることができたのも、そうしたクラブのスタンスがあればこそだった。

 今、佐々木は言う。

「夢の1つであったリンクが通年化して、新しいステージに進んだと思います。リンクをどういうふうに子供たちが、町の人や地域の人が使って、愛されるリンクになり町の財産として残っていくか。なおかつその中で、選手の育成をまた手探りで進めていきたいですね。

 今までは、いろいろなところに練習に出かけたりしなければならないハンディをばねにしながらやってきたところもありました。通年化した以上は、ここでどうやって踏ん張るのかを新たに付け加えて考えていかないといけない。リンクが本当の意味で倉敷の財産になっていかないといけない。みんなで考えて実現したいですね」

 フィギュアスケートを取り巻く環境は、変化してきた。かつては考えられなかったような脚光を浴びるのだ現在だ。しかし、変化がどうあろうと、その中にあって、佐々木は倉敷の地でこつこつと子供たちにスケートを教え続けてきた。

 1人ひとりの子が、少しでも成長すればそれがうれしい。進化するさまを見るのが楽しい。その気持ちに今も変わりはない。クラブの根本のあり方もまた、変わらない。そして選手たちは巣立っていった。

 そして今日も、明日を夢見る子どもたちがリンクで滑っている。

(第10回に続く/文中敬称略)

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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