天龍源一郎・引退会見「腹一杯の楽しいプロレス人生だった」

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天龍源一郎の経歴

1976年に全日本プロレス入団以来40年間のプロレス人生に幕を閉じる天龍。ジャイアント馬場、アントニオ猪木の2人からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとして、日本マット界に数々の伝説を残した 【スポーツナビ】

 1950年2月2日、福井県出身。63年に入門した大相撲で前頭まで昇進するも、76年秋に所属した二所ノ関部屋の後継問題で廃業。なお、幕内通算成績は108勝132敗。幕下、十両で各1回ずつ優勝している。同年10月、全日本プロレスに入団した。入団と同時に渡米し、11月にアメリカマットでデビュー。日本デビューは77年で、ジャイアント馬場と組んでタッグマッチに出場した。その後、長州力率いるジャパンプロレスの全日本参戦時に長州と激戦を繰り広げ、闘争心むき出しに戦う姿で人気を博した。

 長州離脱後、86年に阿修羅・原とのコンビで龍原砲を結成すると、「地方でも手を抜かない戦い」などをテーマに大暴れ。この動きはサムソン冬木や川田利明らも含めた天龍同盟へ拡大していく。ジャンボ鶴田との対戦はファンの支持を集め、86年から3年連続プロレス大賞MVPを受賞。89年にはジャンボ鶴田を破って三冠ヘビー級王座を初めて獲得した。また同年には、スタン・ハンセンとのタッグでジャイアント馬場から3カウントを奪った。

 その後、90年にSWSに移籍。91年にはWWF(現WWE)のレッスルマニアにも出場した。92年にWARを設立すると、新日本プロレスと対抗戦を展開。橋本真也や蝶野正洋、藤波辰爾らをシングルで破った。93年には4度目のプロレス大賞MVPにも選ばれた。94年の1.4東京ドーム大会では、シングルマッチでアントニオ猪木からフォール勝ち。日本人で唯一、馬場と猪木からフォールを奪ったプロレスラーとなった。

 94年には大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ、96年にはグレート・ムタや高田延彦からも勝利した。また、98年からフリーになると、女子プロレスラーの神取忍とのシングルマッチで顔面を腫らすほどのグーパンチを浴びせ、話題となった。また同年12月の新日本プロレスでは武藤敬司からIWGPヘビー級ベルトを奪取。2000年には選手の大量離脱があった古巣・全日本に戻ると、最年長戴冠記録となる52歳5カ月での三冠ヘビー級王者に輝いた。

 03年にはかつてのライバル長州力が立ち上げたWJに参加。長州との6連戦が予定されていたが、3戦で休止。05年にはエンターテインメント色の強いハッスルにも参戦した。10年には天龍プロジェクトを設立。11年から腰部脊柱管狭窄症の治療で長期欠場、12年秋に天龍プロジェクトで復帰を果たした。その後もノアやことし1月には全日本のジャイアント馬場17回忌大会で6年10カ月ぶりに古巣のリングに立った。

 プロレス大賞は86年から3年連続獲得するなど計4回授賞。主なタイトル歴は三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座、アジアタッグ王座、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座など。得意技はパワーボム、延髄蹴り、グーパンチ、顔面蹴りなど。

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