“低調”女子マラソン、復調のカギは? 不調を克服した重友の意識の変化
07年以降2時間23分台を切れない現状
2時間22分台で走りきったガメラ(手前)を23キロ過ぎまではつけた。あとはそこからの粘りが必要となる 【写真は共同】
高橋尚子、野口みずき、渋井陽子の3人が2時間19分台を出したのは、2001年から05年。高橋と野口の金メダリスト2人は、五輪翌年に海外の高速レースでも力を発揮した。
国内で最もハイレベルだったのは03年の大阪国際女子マラソンだ。野口が2時間21分18秒の国内最高記録で優勝し、2位の千葉真子、3位の坂本直子の3人が2時間21分台をマーク。その年のパリ世界選手権では、その3人が2〜4位を占めた。12年前は、大阪のトップは世界のトップでもあったのだ。
ところが、野口が2時間21分37秒をマークした07年の東京国際女子を最後に、日本選手は2時間23分未満で走っていない。高橋のシドニー五輪、野口のアテネ五輪と金メダルを2大会連続で取ったが、北京五輪とロンドン五輪は入賞すら逃している。
目的意識を高めるためのナショナル・チーム
酒井勝充強化副委員長は「急に練習を厳しくしたら、故障をするリスクがあります」と、ことが簡単でないことを最初に強調した。
「練習を増やしていくには、段階を踏んでいく必要がある」
そのための対策の1つが、昨年4月に発足させたナショナル・チームだ。陸上競技の強化はチームや個人で行うのが基本だが、年に数回の合宿などで医科学データを収集し、暑さへの適性などを陸連が見極める場ともなる。選考に際してはそのデータも加味するケースが生じるし、派遣設定記録突破者以外は、「原則」(陸連選考規定)ナショナル・チームから選考される。
練習メニューも厳しいものを行うが、そのこと自体が目的ではない。
「昔の選手は“これを目指すんだ”という意識が強かったから、“すごい練習”ができました。ナショナル・チームでは、日本のトップではなく、世界のトップを目指す目的意識を共有するようにしています。意識を変えることで、練習がおのずと変わってくる」(酒井副委員長)
裏を返せば、意識が高い選手は高橋や野口のように、個人主体のトレーニングでも世界と戦えるし、むしろ戦いやすい。男子の川内優輝(埼玉県庁)のように、強烈な意思を持つ選手が、独自の方法で世界への道を切り拓いて行くアプローチも成り立つ。
個人の取り組みこそが重要
重友もナショナル・チームの一員だが、前述のように個人合宿で復調のきっかけをつかんだ。重友を指導する天満屋の武冨豊総監督は、陸連強化委員会のマラソン部長。ナショナル・チームも指揮する立場でもある。
重友の大阪に向けたトレーニングを、武冨総監督が次のように説明している。
「以前はスケジュールに沿って、キチッとやる傾向が大きい選手でしたが、今回は『山を3時間走りたい』と申し出てきたり、夜でも追い込んだサーキットトレーニングをしたり、自分の状態に応じて、練習の組み立てを考えられるようになりました」
特に実績のあるチームの場合、これをやっておけば、というノウハウが多く蓄積されていて、ともするとそこに頼りがちになる。だが、そのノウハウを作ったのは個人で頑張った選手と、それを指導したスタッフである。ノウハウだけに頼ってしまうと、本当の基礎となる部分がおろそかになる。
マラソンは個人レベルの強化が前提であり、ナショナル・チームはあくまでも、個人の発想を刺激する1つの手段に過ぎない。
「重友の今回の取り組みは、本当のマラソンランナーになるきっかけだと思います。その意味では、大阪は彼女の岐路になる」
武冨総監督が発した言葉は、個人の発想と頑張りこそが、マラソン強化に重要であることを示している。