パ盗塁王、日本ハム西川が抱いた葛藤 オフの課題は「もう一度強いスイングを」

週刊ベースボールONLINE

悩み、葛藤し試行錯誤を重ねた打撃

キャンプまでの期間は、本来の強いスイングを取り戻すことがテーマの一つ 【写真=高塩隆、BBM】

 最もこだわりを持つ打撃に関しては、悩みも多く、さまざまな葛藤を抱きながら、試行錯誤を重ねた。3番を任されることもあったが、シーズン途中からは1番に固定された。

「構えは開幕時と終盤で変わりました。力を抜いて打席に入ろうと意識して、だんだん構えが変わっていきました。良い打順を打ちたい気持ちはありますが、あまり打順にこだわりは持ってません」

 昨年、先発が139試合にとどまったのは、ケガなどによる欠場ではなく、スタメンを外されたからだった。ただ、これが大きな転機になったという。

「本当に悔しかったですよ。ずっと試合に出させてもらったのに急に試合に出られなくなって……。でも、そのときに一歩引いた目で試合を見てみようと意識しました。どういう選手がどういう活躍をしているのか。(栗山英樹)監督が自分にどういう役割を求めて、どういう活躍をしてほしいのか、いろいろ考えたんです。1番はこう、2番はこうといろいろ考えて、打ち方も変えて、打席に入るときの考え方も変わっていきました」

 14年の19二塁打、リーグトップの13三塁打という数字が示すように、西川の持ち味は強いスイングから放たれる鋭い打球である。その持ち味を押し殺して、1番打者として出塁率アップに努めた。塁に出ることを最優先に考え、フルスイングを封印して、確実にミートする打撃に切り替えたのだった。

リーダーとして芽生え始めた自覚

昨季限りで引退した金子誠氏(右)の8番を受け継ぐ。「背番号は軽くなったが、責任は重くなった」 【写真=高塩隆、BBM】

 14年シーズンを戦い、最も成長したのはメンタル面だったのではないか。何よりもチームのことを考え、勝つための最善のプレーを心掛けた。さらに、金子誠、稲葉篤紀の大ベテランが引退。大引啓次(東京ヤクルト)、小谷野栄一(オリックス)といった中心選手が去った影響もあり、リーダーとしての自覚も芽生え始めている。

「飯山裕志さん以外に野手で年長だった4人が一気にいなくなるのは正直、不安ですよ。今季のチームはどうなってしまうんだろう? という気持ちになります。先輩方には多くのことを学んだので、その経験を自分より若い選手たちに伝えていきたいですね。例えば、クライマックスシリーズで稲葉さんが打つことによってチームが活気づきました。1本で流れが変わるのはなかなかないことなので、それを実際に間近で見られたのは貴重な経験でしたね」

 CSでは大事な場面で貴重な得点をたたき出した。自信を深め、チームの強さにも手応えをつかんだ。
「オリックス、(福岡)ソフトバンクは強かったですけど、その相手に対して粘って戦えたのは、それだけの力がみんなにあるということ。受け身にならず、“勝てる”という強い気持ちを持って戦うことでいい勝負ができる。今年はあのような試合をずっと続けていけたらいいですね。僕自身にとってもすごく大きい経験でしたし、みんなもそう感じていると思います。その経験を今年に生かしたいですね」

強いスイングを取り戻す

 春季キャンプまでの間に取り組む課題ははっきりしている。

「打撃をもう一度、一から考え直してやっていきます。シーズンが始まったときにどんな打ち方になっているか分かりませんが、自分はバットスイングをしていく中で形を固めていきます。いろいろ考えながら試行錯誤します。昨季途中からバットを強く振らなくなってしまったので、まずはもう一度、強いスイングを取り戻すことからです。もう一度、体に覚えさせ、しみこませる感じですね。キャンプは何かを試すのではなく、競争の場。その前に課題をクリアしていきたいです。いろいろ取り組むことができるのはオフシーズンの時期だけですからね」

 15年を戦う自分の姿も徐々に見えてきており、目標もはっきりと口にした。

「若い選手が増えているので、チームの中心となって、みんなを引っ張っていけるような存在になりたいです。これまで相手に嫌がられる選手をずっと目指してきましたが、プラスアルファで怖がられる選手になっていきたいと思います。盗塁の数は意識せずにやりたいです。タイトルは“ついてくれば”くらいの感覚です。打つ方では3割、10本塁打は打ちたいですね」

 今年はどんな打撃フォームで、どのような成績を残すのか、今季も西川遥輝から目が離せない。

(取材・文=池田晋)

西川遥輝プロフィール

ベテラン勢4人がチームを去り、チームを引っ張る意欲も十分 【写真=高塩隆、BBM】

1992年4月16日生まれ。和歌山県出身。179センチ75キロ。右投左打。智弁和歌山高から11年ドラフト2位で日本ハム入団。12年に1軍デビューし、13年は二塁手のレギュラーに定着するが、左前十字じん帯付着部剥離骨折で長期離脱し定位置を失う。14年は1番打者に定着、守備では5つのポジションを守りながら143試合に出場。盗塁王(43)を獲得してリーグ最多三塁打(13)を放つ活躍を見せた。

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