MLSへ旅立つカカの栄光と挫折 今も謙虚さを失わないスーパースター

沢田啓明

試合後、サポーターに感謝の意を伝えるカカ。今後はMLSでプレーする 【Getty Images】

 11月30日、サンパウロがブラジル全国リーグ第37節でフィゲイレンセと対戦した。本拠地モルンビー・スタジアムにおける今季最終戦であり、サポーターにとっては21歳で欧州へ渡り、代表で、クラブで、そして個人として世界の頂点を極め、32歳となった今年、半年間ではあるが古巣へ復帰してクラブに貢献してくれた“孝行息子”のプレーを目にするおそらく最後の機会。白いユニホームの背番号8、カカがピッチに姿を現わすと、観衆は総立ちで名前を呼び続けた。試合中も、彼がボールに触る度に歓声を上げた。

 試合後、ヒーローは爽やかな笑顔を浮かべてスタンドへ駆け寄り、頭上で拍手を繰り返して感謝の意を伝えた。サポーターは「フィッカ!(行かないで!)」と絶叫し、涙ぐむ者も少なくなかった。

世界の頂点を極めたキャリア

 父親がエンジニア、母親が教師というブラジル選手には珍しい中流階層の出身。サンパウロの家族会員で、いわば“習い事”としてボールを蹴り始めた。彼の素質に驚いたコーチの推薦で12歳のとき、プロ選手養成機関であるトップチーム下部組織へ“移籍”した。

 10代前半の頃は小柄で痩せており、せっかくのテクニックを発揮できなかった。特別なフィジカルトレーニングを施されたが、U−15でもU−17でも控え。下部組織の公式戦にほとんど出場できず、プロ契約を結べるかどうかも定かではなかった。

 ところが18歳のとき、思いがけない幸運が訪れる。トップチームの紅白戦要員として練習に参加した際、当時の監督に潜在能力を見込まれ、以後トップチームに据え置かれたのである。

 2001年2月、18歳9カ月でデビューすると、貴重な得点を挙げてほどなくレギュラーに。02年にはブラジル代表としてワールドカップ(W杯)に出場し、優勝を経験した。そして03年8月、ACミランへ移籍。イタリアでの生活とプレースタイルにもすぐに順応し、06−07シーズンの欧州チャンピオンズリーグで優勝の立役者となって、07年のクラブW杯も制覇。この年の世界最優秀選手に選ばれた。選手としてこれ以上ない高みに到達したのである。

 ところが09年、舞台が暗転する。巨額の移籍金でレアル・マドリーに加入したが、度重なる故障に泣かされ、ジョゼ・モウリーニョ監督の信頼を勝ち取ることができず、ベンチを暖めることが多かった。

 13年、出場機会を求めてミランへ復帰。まずまずのプレーを見せたが、熱望していたW杯出場は叶わなかった。そして今年7月、MLS(メジャーリーグサッカー)のオーランド・シティへ移籍。次のシーズンの開幕は来年3月であるため、年末までサンパウロでプレーすることを選んだ。

 主として、2列目左サイドでプレー。全盛時のような爆発的なスピードこそ影を潜めたが、優れた状況判断と洗練されたテクニックで決定機を作り出した。ブラジル代表にも1年7カ月ぶりに復帰した。

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著者プロフィール

1955年山口県生まれ。上智大学外国語学部仏語学科卒。3年間の会社勤めの後、サハラ砂漠の天然ガス・パイプライン敷設現場で仏語通訳に従事。その資金で1986年W杯メキシコ大会を現地観戦し、人生観が変わる。「日々、フットボールを呼吸し、咀嚼したい」と考え、同年末、ブラジル・サンパウロへ。フットボール・ジャーナリストとして日本の専門誌、新聞などへ寄稿。著書に「マラカナンの悲劇」(新潮社)、「情熱のブラジルサッカー」(平凡社新書)などがある。

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