大阪桐蔭監督が明かす、プロ輩出の秘けつ 球児の成長を促す中村、西岡らの姿

松倉雄太

7年間で春1回、夏3回の甲子園優勝。中田翔や藤浪晋太郎といった主力選手を高校時代指導した西谷監督に、育成への考え方を聞いた 【写真は共同】

 21世紀の高校野球で最強チームになりつつある大阪桐蔭高校。今年の夏も甲子園を制し、7年間で春1回、夏3回の甲子園優勝を果たした。今回は同校を率いる西谷浩一監督へのインタビューの後編。選手とのコミュニケーションで欠かせないものになりつつある「野球ノート」の効果とは? なぜ、大阪桐蔭からプロで活躍する選手が続々巣立っていくのか? 「西谷式最強チームの作り方」の秘けつを聞いた。

※前編の「高校最強チームを築く卒業生の『年輪』大阪桐蔭・西谷監督に聞く育成法」はページ下部の関連リンクからご覧ください。

分かりやすい阪神・西岡の野球ノート

西岡(右)の野球ノートは現役の球児たちの参考になることも。プロ野球選手の姿が物差しとなり、いい刺激になっている 【写真は共同】

――野球ノートを始められたきっかけは何だったのでしょうか?

(1993年、大阪桐蔭に)赴任した時、「子供たちがどんな気持ちで練習をしているか? 効率を良くするにはどうするか?」をみんなで考えました。みんなは「考える」とか「目標を立てる」と言いますが、それをどう続けるかを(考え)、自分の引き出しを増やし、野球を勉強する。さらに人間は忘れることもあるので、書くことで自分への見返りがあるのではないか(と思い始めました)。

 私も高校時代はノートを先生に見てもらい、大学でもノートを書いていました。今でもこれは財産です。それを子供たちに話をしたのがきっかけですね。ただ最初は強制せず、自分で書いて、出したい者は出すという感じです。私自身も1年目でしたし、一人一人の性格もつかめていなかったので、そんな感じで始めました。

――選手たちの反応はいかがでしたか?

 子供たちのノートに、私も感想を書くと、みんなうれしいのでしょう。ちょっとずつ増えて、ある時から全員でやるようになりました。野球を勉強して、高校よりも上のレベルで野球をするために、高校でいろいろと学んでほしいですね。時には新聞、雑誌の記事を貼って読んでもらうようにしています。

――生徒によって特徴が出たりしますか?

 はっきり出ます。きっちりしている子と、雑な子と(笑)。最初は「アップをしてキャッチボールをして、トスバッティングをして、ノックをしました。元気がなかったので、明日頑張ります」というレベルでした。(そういった選手には)「このノートは悪いけれども、幼稚園や小学生の絵日記だ。それを書いて得るものは何?」という話をして、卒業生のノートを見せます。例えば西岡剛(阪神)みたいなプロのノートを(見せると)分かりやすくて、書き方が変わります。あるいは上級生のしっかりした子に「書き方を教えてくれ」と頼むこともあります。

――書き方からはどんなことが分かるのでしょうか?

 雑な子は「今、集中できていないな」とか、「言われたから書いているだけだな」といったところが分かります。そういった部分が集中すると、取り組みも変わります。私自身も(彼らの状態が)分かるので、今は野球ノートがないと不安ですね。

――ノートの中で「プロに行きたい」などと自分を主張してくる選手もいますか?

 いますね。西岡は「どんなことをしてでも、自分をプロにしてくれ」と書きました。「他人より早く起きて(練習を)やるか?」と聞いたら、「やります」と答えました。西岡は入ってきた時から、「(将来は)野球でメシを食う」という感じで、違いましたね。彼の原動力はそれだけでしょう(笑)。

藤浪は大学経由のプロ入りを考えていた

――大阪桐蔭の選手はなぜ、これだけプロで活躍できるのでしょうか?

 ここ何年かは、プロの選手を身近に感じている(ことが理由だ)と思います。中田(翔/北海道日本ハム)の3年間は、オフに中村剛也(埼玉西武)が(大阪桐蔭の)グラウンドで一番練習していた時でした。中田にしてみれば、「なんでこんなに飛ぶんやろ」と(思いながら)ずっと見ていました。プロの技術を目の当たりにして、「こうやったらいいのか」と感じたと思います。さらに(2学年上の)辻内(崇伸/元巨人)と平田(良介/中日)がドラフト1位でプロに行ったので、(実力を見る)物差しが少しあるのでしょう。

 また、OBがすごくかわいがって、大阪桐蔭の輪ができていると思います。森(友哉/埼玉西武)は、その最たるもので、(西武には)中村がいて浅村(栄斗)がいて、同期入団には岡田(雅利)がいてノビノビやっているのもありますね。香月(一也)が(千葉ロッテに)指名された時も、連絡をくれて「一度食事に連れていきます」と言ってくれました。私より、中田や浅村が話をした方が、香月にとってためになると思います。

――入学して成長に驚いた選手もいるのでしょうか?

 藤浪(晋太郎/阪神)ですね。大学からプロを目指す方がいいと最初は思っていました。当初は「東京六大学へ行きたい」と言っていたので、大学からプロという(成長)曲線で1年の時は考えていました。ただ、思っていたより吸収が良かったのは驚きでしたね。中学の時はそこまで分からなかったです。ただ、体は大きくて魅力があったので、「この子がもし化けたら」というのはあり、違う(練習)プログラムを組んでいました。

――どんなプログラムだったのですか?

 毎日のドリルみたいな感じで、ボールを転がして、ステップをして投げる。クイックでシャドー(ピッチング)を何秒でできるかとか、30分ずつくらいですね。そのうちに、たまたまケガ人が出て、投手ノックに入れたら、「できるやん、藤浪」という感じで全然違ってきました。感覚的ですが、やり投げではなく、柔道の背負い投げみたいな投げ方が藤浪に合ったのだと思います。(成長痛の不安は)ありましたが、中学の時から驚くほど走っていました。

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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