無良コーチが息子・崇人に求めること 「一番になるという気持ちをより強く」

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無良崇人を指導する隆志氏に、指導者として、そして父親としての思いを聞いた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 フィギュアスケートでは、選手の親がコーチを務めているケースが時としてある。例えば昨年引退した織田信成は元選手だった自身の母親に指導を仰いでいた。
 2018年の平昌(ピョンチャン)五輪出場を目指す無良崇人(HIROTA)も、コーチは彼の父親である隆志氏だ。無良コーチは現役時代、ペアの選手として1979年と80年の全日本選手権を連覇。シングルでも世界選手権に出場した経験を持つ。

 そんな父に指導を受けた無良は、今年2月に行われたソチ五輪出場の有力候補だった。しかし昨季の結果は振るわず、代表の座を逃してしまう。2012−13シーズンは全日本選手権で3位に入り、世界選手権にも出場していた。
 一体、無良に何が起こっていたのか。「気持ちはすごく前に出ていたけれど、自分の動きと合っていなかった」と無良コーチは分析する。父として、コーチとして、息子の五輪に懸ける思いは痛いほど理解している。だからこそ4年後に悲願を達成するために、あえて注文をつけた。「『俺が一番になる』という意気込みをより強く持ってほしい」。五輪出場は親子にとって長年の夢。平昌へ続く道を再び二人三脚で歩み始めた。

250点をクリアできるプログラム作りを

――無良選手の現在の状態をどう見ていますか?

 毎年、良かったり悪かったりするのですが、だんだん完成形に近づいているのは感じられます。昨年や一昨年と比較しても、一つ一つの体の動きが大きくなってきていて、安定感も出てきている。それが今年の点数でどれくらいになっていくのか楽しみですね。

――今季の無良選手に求めていることは?

 本人が滑りたがっていた『オペラ座の怪人』をフリースケーティング(FS)のプログラムに決めたとき、それをどう表現できるかを一番最初に考えました。その後、ショートプログラム(SP)はクラシックで滑りたいという本人の希望があったので、『バイオリン協奏曲』を作ったんですけれど、ある程度の段階まできたときに練り切れていない部分があった。先のことが読めなかったので、もっと崇人が表現しやすい音楽の方が良いのではないかと。それで今回は『カルメン』に替えたんです。そういう状況ですので、今はまず手の届くところで250点というスコアを、SPとFSでクリアできるようなプログラム作りをしていこうと思っています。

――250点をクリアするために足りない部分はどういったところでしょうか?

 基本的にエレメンツの点数だけでは、そこには到達できないので、1つはファイブコンポーネンツ(演技構成点)を底上げをすることですね。これは絶対に必要なことで、あと1つはどれだけ加点を取れるか。要は、安定したスケートを見せて、そのプログラムを終えるというところですね。4回転は(SPとFSを合わせて)3回入れることになるんですけれど、そこでどれだけ加点をもらえるかというところが勝負になってくるので、そうしたプログラム作りをしていきたいと思っています。

昨シーズンは心と体が合っていなかった

――昨シーズン、無良選手は苦しい時期を過ごしていたと思います。コーチの立場からどう見ていましたか?

 簡単に言うと、心と体が合っていませんでした。やるという気持ちはすごく前に出ていたけれど、自分の動きと合っていない。また自分では一生懸命頑張っているけれど、力が入り過ぎていて、見ていて苦しい。そして、そういうものがジャンプのミスにつながっていたんです。頑張ろうという方向が違っていて、「もっとリラックスして滑れば」と言葉で伝えるのですが、どうしても何かをしようとすると大きく動きすぎる。それがスケートカナダの前まで修正できなかった。カナダでは何が何だか分からないまま終わってしまいました。そして考えたことが、去年のFSのプログラムに戻すということでした。戻すというよりもあのプログラムだったら、そんなに力が入らなかったので、そういう形で競技をしたほうが良いんじゃないかと。カナダが終わったときは、まずそれしか考えられなかったですね。

――プログラムを戻すというのは大きな決断だったと思います。

 NHK杯まで時間はありませんでしたが、あのタイミングで変えられたことは崇人にとっても自信になっていました。NHK杯、全日本選手権と結果は出ませんでしたが、力が抜け、何もなくなったところで四大陸選手権の出場が決まりました。「(代表に選ばれていた織田の引退で)もらったものだから頑張ろう」ということで、優勝できたのは心と体がようやく合ったからかなと思います。その後、オランダにもう1試合しに行きましたが、そのときも落ち着いた状況の中で、できることはやって昨シーズンを終えました。今シーズンはとても落ち着いて練習していますし、良いときと悪いときはありますが、波は少なくなってきたところです。

――ソチ五輪の出場はかないませんでした。それが決まったときは何か言葉をかけたりしましたか?

 途中で分かるじゃないですか、これは届かないって(笑)。2人とも分かっているわけですよ。「ここまでやれたことに感謝して、また次に頑張ればいいんじゃない?」という言葉しかなかったです。他の選手との比較や、来年はどうするかを考えていかなければならないんですけれど、そのときはボーッとなっちゃいましたね。

――無良選手が再び五輪を目指すことは予想はしていたのですか?

 予想はしていなかったですよ。ただ何かのきっかけを作ってあげたかった。その時点で試合は国体しかなかったんです。本当は出るつもりはありませんでしたが、何もないのであれば1試合は出ておきたいと。「国体に出ます」と言った後に、織田選手が引退し、「後輩に席を空ける」と言ってくれたので、それが崇人の背中を押してくれたようです。奥さんとどういう話をしたか分かりませんが、前に進まなくてはいけないということは意識していた思います。親である僕や女房が話すよりも、一番身近で支えてくれている人がいるので、すごく頼もしいパートナーだと思うし、ありがたいですね。

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