再び「歓喜」を取り戻すために=J2・J3漫遊記 ジュビロ磐田<後編>

宇都宮徹壱

2強時代を支えた鹿島と磐田の明暗

ヤマハスタジアムに描かれた「YAMAHA」のロゴ。磐田はJ2クラブの中でも特に親会社のイメージが強い 【宇都宮徹壱】

 ジュビロ磐田のホームタウン、静岡県磐田市は静岡県西部に位置し、浜松市、袋井市と接している。クラブにホームタウンとして登録されているのは磐田市のみで、人口はおよそ16万5000人。先日取材した8月17日のカターレ富山戦では「浜松デー」として、浜松市に在住、在勤、在学している200人のファンを招待していたが、この政令指定都市(人口およそ80万人)をホームタウンにするつもりは、今のところないようだ。

 ホームグラウンドのヤマハスタジアム、そしてトップチームの練習場であるヤマハ大久保グラウンドがある磐田市は、典型的な企業城下町だ。周辺には親会社であるヤマハ発動機の社屋や関連施設が点在していて、街中至るところで「YAMAHA」のロゴが視界に入ってくる。ここに雰囲気が似ているホームタウンとして、まっさきに思いつくのが鹿島アントラーズの鹿嶋市だ。思えば96年から2002年までの7シーズン、Jリーグは鹿島と磐田の2強によるリーグ優勝の寡占状態が続いていた。換言するなら、90年代後半から00年代初頭にかけてのJリーグは、2つの小さな企業城下町を中心に回っていたのである。

 その後、両者は明暗を分ける。鹿島は一時、10冠のプレッシャーに苛まれるかのように、なかなかタイトルを獲れない時代が続いた。だが、やがて本来の勝負強さを取り戻すと、07年から09年までリーグ3連覇を達成。ヤマザキナビスコカップと天皇杯でも2回ずつ優勝し、胸のエンブレムに輝く星の数は16にまで増えた。鹿島の強さを説明するには、さまざまな要因を挙げることができるだろうが、ジーコのスピリッツを受け継いだ鈴木満GM(ゼネラル・マネジャー)による一貫した強化方針がベースにあったことについては、誰も異論はないだろう。一方の磐田が、かつての輝きをなかなか取り戻せていないのは、鹿島のような一貫した強化方針を打ち出せなかったことが挙げられる。それは、今季から強化部長となった服部年宏も認めている。

「長い間、強化を見ている人がいない。そこが鹿島との違いですね。社長も3〜4年で変わってしまうし、3カ年計画みたいなものを打ち出しても、次の人がそれを引き継がない。その場、その場でやってきたような感じですね。強かった時は『勝ったからよし』で良かったんだけど、若手が思ったように伸びなかったり、ベテランに頼りすぎたりして、チームのバランスを崩してしまったことが(低迷する)原因だったと思っています」

ジュビロの黄金時代は「ピンとこない」

東京ヴェルディから移籍して3シーズン目の小林祐希。海外移籍で「人間としての幅を広げたい」と語る 【宇都宮徹壱】

 大久保グラウンドでの練習が始まった。最初に姿を現したのは、やはり小林祐希である。「やはり」というのは、服部がそう教えてくれたからだ。ちょんちょんとつま先でリフティングしながら、ボールの感触を楽しんでいる。「あいつが今のチームで一番楽しんでいる感じですね」という服部の言葉が蘇った。練習後、なぜ誰よりも早くボールを蹴っているのか尋ねてみると、当人は「習慣ですね」と即答した。

「ボールとじゃれあうのが好きっていうのもありますけどね。でも、練習前の15分を1年間続けたら、何十時間にもなるじゃないですか。それはやろうと思ってできることじゃなくて習慣ですよ。それに早く来れば、グラウンドを整備したり、用具を準備したりする人たちの仕事も見ることができるじゃないですか。マイナスはひとつもないです」

 小林は現在22歳。東京ヴェルディの下部組織に育ち、18歳でプロデビューしている。しかし12年、弱冠19歳で背番号10を与えられた上にキャプテンまで任命されると、過度の重圧からプレーに精彩を欠くようになる。「あの時は初めて、サッカーをしていて辛く感じました」とは当人の弁。結局、シーズン途中で自ら移籍を志願し、磐田に期限付き移籍する(のちに完全移籍)。

「磐田に移籍したのは、最初に声をかけてくれたからです。ただ、『ジュビロの黄金時代』って言われても、なんかピンとこないというか、覚えてないです。最後にリーグ優勝したのって、10年以上前ですよね(編注:02年)。まだ10歳くらいでしたから(笑)。(清水エスパルスとの)静岡ダービーも特に意識しなかったですね。プライドを懸けた試合というのは分かるけれど、俺にとってはどれも負けられない試合だから」

 小林はチーム内でも突出した向上心を糧にプレーしている。A代表への意欲も高いし、海外移籍にも強い関心を示している。となると、元日本代表や欧州クラブでのプレー経験を持つ諸先輩がいる磐田は、いろいろと学ぶことも少なくないのではないか。しかし彼の答えは、こちらがハラハラするくらい挑発的かつ野心的なものであった。

「このチームから代表に選ばれている人たちというのは、普段のプレーもそうだけれど、協調性があってわりと使われるタイプですよね。自分から引っ張っていくような感じではない。少なくとも俺とはタイプが違うから、(代表への)目指し方も違っていくと思っています。(海外でプレーすることに関しては)松井(大輔)さんの経験から学ぶべきものはあると思います。ずっと欧州で必要とされてきたわけですから。でも、5年くらい同じクラブでプレーしていたかというと、そうではなかったですよね。俺にはビッグクラブで何年も中心に据えられるような選手になるという夢がある。そのためには、もっと上を目指さないといけないと思っています」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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