やり投げの新星・新井涼平、覚醒の理由 「記録を狙える」アジア大会への自信

折山淑美

世界選手権王者を抑えた殊勲

4月の織田記念で日本歴代3位の好記録を出し、海外大会で世界選手権王者のベセリを破るなど、今季の新井は躍進を続けている 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 7月16日にスウェーデンで行われたEUクラシック・カールスタッド大会。社会人1年目の今季は4月の織田記念でいきなり日本歴代3位の85メートル48を投げ、6月には日本選手権初優勝を果たしていた男子やり投げの新井涼平(スズキ浜松AC)が、82メートル24を投げて優勝した。昨年の世界選手権優勝者のビテスラフ・ベセリ(チェコ)を抑えた殊勲は、海外大会初勝利だった。

「遠征の3試合目だったからだいぶ慣れてきたのもあって。記録はもう少しいってほしかったですね。あれもだいぶ失敗した投てきなので。相当上にあがってしまったのにあの記録だったから『よく飛んでくれたな』と思いますね(笑)。でも優勝できたのはよかったし、ベセリに勝てたのも大きかったです」

 今回のヨーロッパ遠征は、7月5日のダイヤモンドリーグ・パリ大会が初戦で、81メートル52を投げて4位になっていた。「パリのあとで急きょチェコの試合が入ったけれど、そこは短い助走距離しかとれない競技場だったので対応できず、77メートルしか投げられなかったんです。EUクラシックも助走路が少し短かったけれど、チェコで経験していたから、どうすればいいか分かっていたので対応できたのですが……」と言って笑う。初めてのヨーロッパ転戦で81メートル超えを2回果たして優勝1回と、収穫の多い遠征になった。

体作りを意識した大学時代

大学時代は体作りを意識。入学時は75キロだったが、社会人となった現在は90キロを超えている 【スポーツナビ】

 07年の世界選手権・大阪大会のテレビ放映で、男子やり投げのテロ・ピトカマキ(フィンランド)が90メートルを投げたのを見て「すごいな」と思ったという新井。高校1年生の夏休み後に「個人競技をやりたい」と陸上部に体験入部し、部室にやりが一本あるのを見つけて、「これがピトカマキが投げたやりか」と思って手にとった。それが競技を始めたきっかけだ。

 高校時代は3年でインターハイ4位と国体3位。ベスト記録は65メートル00だった。だが国士館大へ進み、2年で当時日本歴代8位の78メートル21を投げて日本選手権4位入賞を果たした。

「でも、あれは120パーセント以上の力が出てしまったというか、それまでのベストが65メートルだから、ちょっと投げ過ぎでしたね。それでケガもいろいろしてしまって……。3年のシーズンはもうケガも治っていたけれど、練習を積めてなかったので自分では78メートルは投げられないだろうな、と思ってやっていました」

 やりを投げてケガをしたということは、全体的な筋肉や、関節周りのインナー筋が弱かったからだろうと考えた。だから、78メートルを投げたという自信は心の片隅に追いやり、投げに耐えられる体を作ることを意識した。大学に入った時の体重は75キロ、現在は90キロを超えていることを考えれば、大学時代の4年間は最低限レベルのことを身につける時期だった、とも振り返る。

「そのころは『今の状態では78メートルを投げられない』と思っていたから、ベストとセカンド記録の差を埋めることから始めました。それがあって75メートルはいつでも投げられるようになってきたので、4年になった時は80メートルは無理でも、その手前の自己ベストくらいは狙えるかな、と思っていました。ただ、(その年の)ゴールデングランプリで80メートルを投げたのにファウルで……。失敗投てきで80メートルを超えたのは少し自信になったけれど、結局シーズンベストは78メートル19で終わってしまいました」

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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