やり投げの新星・新井涼平、覚醒の理由 「記録を狙える」アジア大会への自信
世界選手権王者を抑えた殊勲
4月の織田記念で日本歴代3位の好記録を出し、海外大会で世界選手権王者のベセリを破るなど、今季の新井は躍進を続けている 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
「遠征の3試合目だったからだいぶ慣れてきたのもあって。記録はもう少しいってほしかったですね。あれもだいぶ失敗した投てきなので。相当上にあがってしまったのにあの記録だったから『よく飛んでくれたな』と思いますね(笑)。でも優勝できたのはよかったし、ベセリに勝てたのも大きかったです」
今回のヨーロッパ遠征は、7月5日のダイヤモンドリーグ・パリ大会が初戦で、81メートル52を投げて4位になっていた。「パリのあとで急きょチェコの試合が入ったけれど、そこは短い助走距離しかとれない競技場だったので対応できず、77メートルしか投げられなかったんです。EUクラシックも助走路が少し短かったけれど、チェコで経験していたから、どうすればいいか分かっていたので対応できたのですが……」と言って笑う。初めてのヨーロッパ転戦で81メートル超えを2回果たして優勝1回と、収穫の多い遠征になった。
体作りを意識した大学時代
大学時代は体作りを意識。入学時は75キロだったが、社会人となった現在は90キロを超えている 【スポーツナビ】
高校時代は3年でインターハイ4位と国体3位。ベスト記録は65メートル00だった。だが国士館大へ進み、2年で当時日本歴代8位の78メートル21を投げて日本選手権4位入賞を果たした。
「でも、あれは120パーセント以上の力が出てしまったというか、それまでのベストが65メートルだから、ちょっと投げ過ぎでしたね。それでケガもいろいろしてしまって……。3年のシーズンはもうケガも治っていたけれど、練習を積めてなかったので自分では78メートルは投げられないだろうな、と思ってやっていました」
やりを投げてケガをしたということは、全体的な筋肉や、関節周りのインナー筋が弱かったからだろうと考えた。だから、78メートルを投げたという自信は心の片隅に追いやり、投げに耐えられる体を作ることを意識した。大学に入った時の体重は75キロ、現在は90キロを超えていることを考えれば、大学時代の4年間は最低限レベルのことを身につける時期だった、とも振り返る。
「そのころは『今の状態では78メートルを投げられない』と思っていたから、ベストとセカンド記録の差を埋めることから始めました。それがあって75メートルはいつでも投げられるようになってきたので、4年になった時は80メートルは無理でも、その手前の自己ベストくらいは狙えるかな、と思っていました。ただ、(その年の)ゴールデングランプリで80メートルを投げたのにファウルで……。失敗投てきで80メートルを超えたのは少し自信になったけれど、結局シーズンベストは78メートル19で終わってしまいました」