sportsnavi

代表サプライズ選出、皆川佑介の価値
広島の希望から日本の大黒柱へ

広島サポーターでさえ「皆川って誰?」

日本代表にサプライズ選出された皆川は機動力、強さ、アイデアを兼ね備える「広島の希望」だ
日本代表にサプライズ選出された皆川は機動力、強さ、アイデアを兼ね備える「広島の希望」だ【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 サンフレッチェ広島サポーターの間でさえ、名前を覚えたのは最近のこと。全国のサッカーファンが「皆川(佑介)って誰だよ」と反応したのは、至極当然のことだ。


 年代別代表にも縁がなく、昨年のユニバーシアードには出場したものの、前年の左ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂という大けがの影響もあり、目立った活躍は見せていない。プロ入りした今季も、リーグ中断までベンチ入りは一度もなく、公式戦出場はACL(アジアチャンピオンズリーグ)・セントラルコースト戦での6分間(アディショナルタイムを含めて)のみだ。リーグ再開後は3得点3アシストと結果を残したことから、広島サポーターにはようやく名前と顔が浸透してきた。が、全国的には全くの無名。日本代表選出後の対徳島ヴォルティス戦後、数多くの記者がギリギリまで彼を囲んでいたのも当然のこと。記事を書こうにも、エピソードがないのである。


 8月28日に日本代表選出の報が届いた時、彼は完全に混乱し、自分のこととして捉えられずにいた。テレビカメラに囲まれて「今日は何の取材ですか?」と真顔で問いかけ、「いや、もう、本当にテンパっています」と何度も繰り返した。実直で、問いかけにもしっかりと目を見て話す皆川はどんなに厳しい練習を課せられても、紅白戦のメンバーから落とされた時でも、笑顔で振る舞っていた。しかし、この日ばかりは得意の笑顔が最後まで不発。同じく代表に選出された水本裕貴との2ショット写真撮影でも、満面の笑みを浮かべていた先輩とは違い、全く笑えない。カメラマンからの「皆川くん、堅いよー」という言葉で、ようやくこの日最初の笑顔だ。明るい性格で言葉も木訥(ぼくとつ)ではあるがしっかりと紡げる男なのだが、やはりこの日は特別。緊張感が最後まで抜けなかった。

機動力、強さ、アイデアを兼ね備える

 186センチという体格から、ケネディ(名古屋グランパス)のように中央でどっしりと構えるタイプかと思われがちだが、実際の彼は本当によく動く選手である。有効なスペースを見つけて走ってボールを受け、味方を使ってさらに動くスタイルだ。ただ、ポストプレーそのものは得意で、永田充(浦和レッズ)や山下達也(セレッソ大阪)のような強いセンターバックを背負っても、全く力負けしなかった。力強いハンドオフから身体を離すとすぐに攻撃につなげる皆川に対し、経験のある彼らが最後にはファウルでしか止められなくなった。


 アイデアもある。8月16日に行われた浦和戦の後半アディショナルタイム、森崎和幸の縦パスを受けた皆川は、DFをしっかりと引きつけた上で意表をつくヒールパス。飛び出してきた柴崎晃誠の決定的なシュートを演出し、ギリギリの場面でも相手の裏を取れる発想力を見せつけた。実はこの試合は、ハビエル・アギーレ日本代表監督にとって初めてのJリーグ視察。試合後、「興味深い選手はいたよ」と語っていたが、それが皆川だったのだろうか。「あのヒールパスによって認められたとしたら、飛び込んでくれた晃誠さんに感謝です」とサプライズ男は語った。


 前述したように、彼は開幕から試合に関わってきたわけではない。チームの紅白戦にも参加できず、別メニューをこなしながら先輩たちのプレーに目をこらす日々。広島の戦術理解に時間を要し、左ひざ前十字の大けがの影響もあって実戦感覚が戻りきっていなかった。実際、当時の皆川に対して織田秀和強化部長は「下半身のレベルはまだ、我々の望むラインまでは達していない。まずはしっかりと練習を積んでほしい」と語っている。


 ただ、台頭は思ったよりも早かった。5月下旬、広島の若手だけのチームで行った韓国遠征で皆川は2試合2得点。ほぼ主力をそろえたKリーグ・慶南FCとの試合でもゴールを決め、大きな自信を得た。さらにその後の練習試合でも得点を量産。室蘭キャンプ中の対コンサドーレ札幌戦で4得点を奪って勝利に貢献すると、続く日本工学院戦でも4得点。中断期間の練習試合で11試合16得点という大爆発を見せた。公式戦初先発となった天皇杯の対福岡大戦では、自らのバックパスが失点につながる失態を演じてしまったが、すぐに挽回。森崎浩司のスルーパスに抜け出し、名古屋ではレギュラー格として活躍している大武峻を退場に追い込み、終了間際にはプロ入り初得点を記録。評価の高まりを決定づけた。

中野和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

スポナビDo

イベント・大会一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント