足りないものが多すぎたブラジル代表 惨敗がもたらした大きな痛みと問題提起

大野美夏

まるでアマ対プロの試合

大量失点を喫した“魔の6分”。選手たちは「何が起こったか分からない」と話す 【写真:ロイター/アフロ】

 試合後、選手たちは呆然とした顔をして、口々に何が起こったか分からないと言った。あまりにも実力差がある時、サッカーの試合が成立しないことがある。まさに、ドイツとブラジルの試合はそれだった。マルセロは「3点目を入れられたところから完全におかしくなった」と言っていたが、ブラジルはチームではなかった。ダビド・ルイスがトップまで上がったり、フッキが個人技に走ったり、マルセロも必死にプレーした。

 しかし、もはやサッカーの試合ではなくなっていた。1−7という史上最悪の惨敗。準決勝とは甲乙付け難いチームが1点を競うゲームのはずが、まるでアマ対プロのようだった。決勝トーナメントでW杯史上ワーストともいえる屈辱的なスコア。翌日の新聞は恥辱、惨敗と批判の声が並べられた。

 あの時のことを、ベルナールは「サッカーは時にこういうことが起きる。僕たちはユニホームに誇りを持って必死にやった。けれど応えられなかった。今でも、ユニホームに誇りを持っている。負けた後、誰もこんなことが起きると思っていなかったからほとんどの選手が眠れなかった」と振り返った。ピッチの外から見るしかなかったチアゴ・シウバは「自分が中にいたら立て直しをしたが、外からでは何もできなかった」と悲しんでいた。

またも惨敗した3位決定戦

 そして、3位決定戦のオランダ戦にはチアゴ・シウバが復帰したものの、自信を失い、チームが完全に崩壊したブラジルには敗戦を逃れることは無理だった。0−3。またしても惨敗だった。

 ネイマールは「僕たちは自国で優勝する、歴史に名を残すという夢のためにがんばってやってきたけど、ミスをして失敗に終わった。このW杯はブラジルの最高のサッカーを見せることはできなかった。普通のサッカーでベスト4まで来れたけど、セレソンのサッカーじゃない。自分たちはすべてを凌駕(りょうが)するようなセレソンではなかった」と自分たちの力不足をはっきりと認めた。

 チアゴ・シウバは「選手たちは、世界のサッカー界で活躍している。負けても落ち込まず、次に勝てるようにこの経験を生かさなければならない。2試合で10点取られるのは望んだわけじゃない。でも、頭を上げて前に進みたい。守備は、攻撃から始めないといけなかった。でも、部分的なことでなく、全体の問題。準決勝であんなふうに負けたことは厳しいけど、この試合の全部が間違いだったわけではない。このW杯はプレッシャーも大きく感傷的にもなった。この経験がきっと役に立つと思う」と締めくくった。

今回はネイマールしかいなかった

 冒頭に登場したセレソン番記者は「ドイツはかつてのブラジルのように楽しくサッカーをした。生き生きとパスを回し美しくプレーした。そして、何よりもサッカーを楽しんでいることが伝わってきた」と言った。

 ブラジルに欠けていたのは、選手のフィジカルコンディション、コンセプト、戦術、練習、自国開催の責任に耐えられるほど強いメンタルなどいろいろな要因がある。1つではない。今回は監督の手腕が非常に問われたが、指揮官のリノベーション(刷新)、ライセンスの整備は必要だ。マノ・メネーゼスに代わってW杯でセレソンを率いる監督はフェリッポンしかいなかったというが、実は昨年の12月、「ジョゼップ・グアルディオラがセレソンの監督に」という話が出たことがある。グアルディオラの弟が内々に親しいブラジルの『ランセ』紙の編集者ヴァウテール・デ・マットスにグアルディオラの夢はセレソンを指揮することだと伝言した。

 マットス氏は対立する立場を取っていたCBF(ブラジルサッカー連盟)のマリン会長に対し手紙を出した。しかし、マリン会長はその手紙を読みながら、スコラーリ監督とパレイラのコンビにW杯を託したという経緯があった。考えてみてほしい。グアルディオラがセレソンを指揮したらどんなにスペクタクルなサッカーをしてくれたのだろう。今となっては、どうしようもない。CBFはフェリッポンを選んだのだ。

 そして、ブラジルに以前のようなクラッキ(名選手)が生まれなくなってきているのも紛れもない事実だ。今回はネイマールしかいなかった。

育成世代における大きな課題

 もちろんそれにはさまざまな要因がある、経済の発展に伴って子供たちの生活も変わってきた。選手育成が欧州化したという意見もあるが、確かに戦術練習を熱心にやるのは当たり前だ。欧州向けの選手ばかりを作ろうとしているわけではない。パルメイラスのU−17の監督をするブルーノ・ペトリ氏はこれまでにオスカール(チェルシー)、ルーカス(パリ・サンジェルマン)、ルーカス・ピアゾン(チェルシー、ブラジルU−20代表)、アデミウソン(サンパウロFC、ブラジルU−20代表)らを指導し、サンパウロFCのU−15を世界大会で優勝させたこともある手腕を持つ。彼の指導に当然戦術練習もあるが、「最も大事にしているのはブラジルらしさを忘れないこと。テクニックを高め、自由な発想でオリジナルな攻撃ができるような選手を育てている」と言う。育成部で個性がつぶされていくわけではない。育成部のスタッフ達は高額サラリーをもらうわけではないが、研究熱心に情熱と選手達への愛情を込めて働くが、立場は弱く、クラブ運営陣の交代や思惑次第で簡単に首を切られてしまうという問題もある。

 さらに、育成世代なおけるもう一つの大きな問題は代理人の存在だ。かつてブラジルのクラブの育成部はほとんどが14歳からだった。今は少しでもうまい子には10歳から代理人がつく時代になり、クラブは低年齢から選手を集めチームを作るようになった。

 地方のアマチュアチームの指導者や運営側はそれに対して警告を唱える。オスカールがプレーしていたアメリカーナ市にあるアトレチコ・イピランガ会長のヴラジミール・ジュスチーノ氏は「せっかく順調に育っている選手をかっさらっていくのが代理人なのだ」と嘆く。だからといって代理人が全面的に悪いわけでもない。貧しすぎてサッカーを諦めなければいけない家庭の子にサッカーを続けるチャンスを与えることになることもある。

 ブラジルの育成世代の指導が間違っているわけではない。5月に日本で行われた東京国際ユース(U−14)サッカー大会で16チーム中ファイナルに残ったのはアルゼンチンのボカジュニアーズとブラジルのパルメイラスだった(優勝はボカ)。ジュスチーノ会長は「人材が枯渇しているなんて信じられない。ブラジルからたくさんの選手が海外に渡っても、まだまだ才能のある子達は生まれてくる」と言う。

サッカー王国に植え付けられた危機感

 それでも、18歳の海外移籍ルールから解放されるとすぐに海外に行く選手は多い。プロチームで活躍するようになってすぐに移籍。ネイマールのように21歳までブラジルに残れるというケースは稀だ。選手は移籍金とより良いサラリーを求めてクラブを代わっていく。
 
 ネイマールがラッキーだったのは、サントスが欧州並みのサラリーを保証してブラジルの中で、南米サッカーにもまれ、ブラジルらしさを失わないまま育ったからだ。ネイマールが14歳のころ、ネイマール父が私にこう言っていた。
「ブラジルらしい選手になるには、ブラジルにいないといけないんだ」と。
 ネイマールは13歳から欧州のクラブが連れて行こうとした逸材だ。もしも、14歳でレアル・マドリーに行っていたら、ひょっとしたら今のネイマールはいなかったかもしれない。
  
 選手をとどめるには、たくさん観客が入るような魅力あるリーグにしてクラブが経済的にもっと成功していかなければいけない。そして、もっとクラブ経営を透明化すること。取りかからなければならないことがありすぎる。が、今回のセレソンの惨敗は国民に大きな痛みをもたらしたと同時に大きな問題定義をしてくれた。この先、ブラジルがサッカー王国であるために何を守り、何を変えていかなければいけないのか、皆が意見を言い始めている。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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