足りないものが多すぎたブラジル代表 惨敗がもたらした大きな痛みと問題提起

大野美夏

“セレソンの太陽”ネイマールの存在価値

最後の2試合を2連敗、10失点で幕を閉じたセレソンのW杯。ネイマールの代役など、足りないものが多すぎた 【写真:ロイター/アフロ】

 ブラジル人のブラジル代表番記者が「フェリッポン(ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の愛称)は古すぎる!」と怒りをあらわにしていた。

 昨年のコンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)の成功にしがみついて、チームをもっと成長させなければワールドカップ(W杯)には通用しなかったのに、止まったままになってしまった。さらに、合宿中の戦術練習の不足、それに伴う戦術パターンの少なさ。ゴールゲッターの不在、そして、ネイマールしか頼れる選手がいなかった。

 コンフェデ杯ではネイマールだけに頼る戦術でもなんとか通用した。しかし、W杯では他国はもっとレベルを上げていた。優勝までとてもたどり着けない材料はそろっていた。一方、勝ち進むのに必要な材料はネイマールだけだった。

 監督は常々「ネイマールに依存しているわけじゃない。チームはネイマールのためにプレーし、ネイマールもチームのためにプレーする」と念を押していたが、チームは間違いなくネイマール頼みだった。実際、ネイマールはW杯前、セレソン(ブラジル代表の愛称)で1試合平均1.5ゴールをマークしてきた。ネイマールがゴールを決める試合には勝てた。

 ネイマールはセレソンにとって太陽のような存在だった。バルセロナのチームメートでもあるダニエウ・アウベスは「ネイマールはブラジルにとって唯一無二の選手。ネイマールを最高の形で生かさないといけない」と言っていたが、太陽を失ったチームは死んでしまう。まさに、そんなことがW杯準決勝のドイツ戦で起きてしまった。

メンタルの弱い“泣き虫チーム”

W杯では感情的になる場面が多く、チアゴ・シウバ(右)らの泣いているシーンが幾度となく見られた 【写真:Action Images/アフロ】

 ブラジルはホスト国のため、南米予選を免除。この4年間は、主に親善試合を第3国でやってきた。ホーム&アウェーで自国のサポーター、相手サポーターを巻き込んでの熾烈(しれつ)な戦い、プレッシャーを受けるような試合はとても少なかった。ところが、W杯が始まって、急に自国開催のプレッシャーが岩のごとく重くのしかかってきた。

 選手たちは普段、明るく朗らかでジョークを言い合う元気な若者だ。チアゴ・シウバは「プレッシャーがあるのは当たり前。それが嫌ならサッカー選手をやめるしかない」と言い、ネイマールは「ホームゲームということでプレッシャーは大きいことは分かっているけど、今までだってどこでやってもプレッシャーはあった。いいプレッシャーだから楽しもうと思っている。これまでいろいろな大会のファイナルを経験して、その中で勝ってきた。最高だったよ。ブラジル人プレーヤーは、こういうのを自然に受け止めている。僕たちは大丈夫だ」と明るく話していた。

 しかし、W杯ではその明るさよりも感情的になる場面が多く、よく泣いた。

 開幕戦のクロアチア戦ではチアゴ・シウバとジュリオ・セーザルが国歌斉唱で感極まって涙を流し、メキシコ戦の国歌斉唱ではネイマールも泣き出した。決定的だったのはラウンド16、チリとの死闘の後だ。チリ戦はハイプレッシャーでスペースを与えない、厳しい試合になった。延長戦でも勝負はつかずPK戦にもつれ込んだのだが、選手たちは負けたら終わりという緊張の場面で、精神的にリミットまで来ていた。自国開催のとてつもない重圧がここで初めて現実になったのだ。

 PKを蹴る自信がなかったチアゴ・シウバは言った。

「フェリッポンに自分を一番最後にして欲しいと頼んだ」

 そうして、PKに挑む選手たちが肩を組み、一致団結しているところから離れて1人だけ祈りの世界に入った。

 それでも、セレソンはぎりぎりのところで勝利を手に入れることができた。ジュリオ・セーザルが奇跡のセーブを2回決め、チリの5番手(ゴンサロ・ハラ)が外してくれたおかげでブラジルに勝利は転がり込んだ。その瞬間、ネイマールは地面に突っ伏して泣いて喜んだ。チアゴ・シウバはフェリッポンに抱かれ、子どものように泣いた。そんな光景は彼らがいかにセレソンが敗退、すなわち国民を失望させるということに大きな恐怖を感じているかを表していた。

 ここからセレソンは泣き虫と呼ばれ、メンタルの弱さを指摘されていく。

乏しい試合内容

 運命のドイツ戦にたどり着くまで、セレソンは一度たりとも最強チームではなかった。元々、チーム力の不安は壮行試合のセルビア戦ですでに現れていた。クロアチア、メキシコ、カメルーンとのグループリーグで、唯一快勝したのはカメルーン戦のみ。決勝トーナメントに入ってからもチリ戦はPK、コロンビア戦の勝利も王者の風格などみじんもなかった。

 チアゴ・シウバとダビド・ルイスのディフェンス、ネイマールのタレント性、得点力がチームを支えていることは明らかだった。他の選手のパフォーマンスの悪さも目立つ。右サイドバックのダニエウ・アウベス、ボランチのパウリーニョはコンフェデ杯と比べて明らかに動きが悪く、オスカルはクロアチア戦のみ機能したがその後はさっぱり。一番ひどかったのはゴールゲッターであるはずのフレッジだ。フレッジからゴールが生まれない(今大会は1ゴール)。フレッジに対する不信感は予想通りだった。

大量失点を喫した“魔の6分”

 なんとかベスト4まで来たところで、国民の期待はあと2勝で優勝と膨らんでいった。しかし、W杯はそんな簡単なものではなかった。コロンビア戦で頼みのネイマールが腰椎の骨折で戦線離脱、チアゴ・シウバは累積警告で出場停止。最強チームと言われていたドイツ相手に勝てる見込みはほとんどないことは想像がついた。それでも、国民は“ボールは丸い。奇跡は起こるかもしれない”とホイッスルが鳴るのを待った。

 スコラーリ監督の取ったフォーメーションは予想された3ボランチではなく、ネイマールの代わりにベルナール、チアゴ・シウバの代わりにダンテを入れるだけで、戦術はこれまでと全く変わりなし。コンパクトさがなく、最終ラインとトップには無意味なスペースが広がり、中盤はスカスカというチームが、攻撃力、守備力、組織力、連係プレー、個人技、メンタルとすべてにおいて大きく上回るドイツと真っ向から戦ってしまった。当然、ドイツの思うつぼだった。

 CKで先制されたのは想定内としても、そこから守備がガタガタになる。“魔の6分”と呼ばれるようになった短時間で、まさかの4失点を喫した。

 選手たちは完全にアパゴン(大停電)になっていた。頭が真っ白になってしまって何をしているのか分からないショック状態になっていた。自宅でテレビを見なければいけなかったネイマールは、最後まで見ることができなかったという。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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