「組織」で挑むも「個」に破壊された韓国 監督がこだわりすぎたロンドンの選手たち

吉崎エイジーニョ

「現実路線」の戦いを選択するも敗北

ベルギーに敗れ、1分2敗でグループリーグ敗退となった韓国。試合後、ソン・フンミン(左)の目には涙が浮かぶ 【Getty Images】

「理想主義」も「現実路線」も結果が伴わなかった。東アジアから大会に出場した日本、韓国ともにベスト16に進むことなく、勝利を挙げることなく、ワールドカップ(W杯)ブラジル大会を去った。

 現地時間26日、韓国代表は予選グループH組最終戦を戦い、ベルギーに0−1と敗れた。45分に相手選手が退場し、数的優位に立ちながらの敗北。守備を重視するホン・ミョンボ監督の「現実路線」のサッカーは、攻撃サッカーの「理想主義」を掲げた日本代表に続き、ヨーロッパ、アフリカのチームに結果を残せなかった。試合後、ホン・ミョンボは会見でこんなコメントを残した。

「選手はベストを尽くしたが、私の力が足りなかったということ。ベルギーが1人退場になった後もわれわれはカウンターをベースに攻撃を組み立てた。サイドからの攻撃をもう少し多くすべきだったが、真ん中に偏ってしまった」

 攻撃、守備の軸の違いこそあれ、日韓両国の勝利へのアプローチ方法は同様だった。対戦国の「個」に対し、「組織」で立ち向かう、という。日本は4年間熟成させた組織で勝負しようとしたが、韓国はお家騒動によりやむを得ない面が強かった。トラブル続きだったアジア最終予選後、前任監督(チェ・ガンヒ)が契約期間満了に伴い退任。大会11カ月前に白羽の矢が立ったのは、2012年ロンドン五輪で銅メダルという結果を出したホン・ミョンボだった。

 ブラジルでの本大会まで時間が限られるなか、その時点で最も結果を出していたチームを継承する方法に懸けた。そうするほかなかった。

 23人の登録メンバーのうち、ロンドンのチームに関わった選手は13人。いっぽうで13年5月の就任会見では「韓国は32カ国の中でも最も厳しい戦いを強いられるチーム。最高の組織をつくって大会に臨みたい」と宣言した。

致命的だったアルジェリア戦の敗戦

 初戦のロシア戦は「最低限でも引き分ける」として臨み、結果を残した(1−1)。しかし勝ち点3が期待された第2戦アルジェリア戦の26分、「組織」は完膚なきまでに「個」に破壊された。

 アルジェリアのDFラインから山なりのボールが韓国センターバック(CB)とGKの間に入る。相手1トップのイスラム・スリマニをCBキム・ヨングォンとホン ジョンホが追うが、振り切られた。GKチョン・ソンリョンがシュートコースを狭めるべく前に出たが……簡単に左足で決められた。
 
 結果的にこの時点で、韓国の大会は終わっていた。

 ホン・ミョンボ自身も「3試合のなかで最も残念だったのは、アルジェリア戦の前半」と振り返っている。それはそうだ。チームの核となるべき3人での組織が1人のプレーヤーに破壊されたのだ。

 筆者はテレビ番組に出演し、このゴールを「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と比喩(ひゆ)した。「アジアの虎」の穴(CBとGKの間のスペース)に、アルジェリアは堂々と入り込み、虎子(勝ち点3)を得たのだから。CBのホンとキムの2人はアンダー世代の代表からのパートナーであり、親友。GKチョンはロンドン五輪でもオーバーエイジ枠でプレーした選手だった。

 このダメージは大きく、韓国は2分後にコーナーキックから2点目を喫し、万事休す。近代IT国家のサーバーがダウンしたかのように失点のショックで組織が機能を失ってしまった。監督も同様で、不調の1トップパク・チュヨン(ロンドン五輪オーバーエイジ)を57分まで引っ張り、その後に投入した身長196センチのキム・シンウクが好プレーを見せるという有様だった。グループ最弱とみなしていた国に2−4の敗戦。得失点差でマイナス2。致命的だった。

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著者プロフィール

1974年生まれ、北九州市出身。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)朝鮮語科卒。『Number』で7年、「週刊サッカーマガジン」で12年間連載歴あり。97年に韓国、05年にドイツ在住。日韓欧の比較で見える「日本とは何ぞや?」を描く。近著にサッカー海外組エピソード満載の「メッシと滅私」(集英社新書)、翻訳書に「パク・チソン自伝 名もなき挑戦: 世界最高峰にたどり着けた理由」(SHOPRO)、「ホン・ミョンボ」、(実業之日本社)などがある。ほか教育関連書、北朝鮮関連翻訳本なども。本名は吉崎英治。

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