イタリアの早期敗退は必然だったのか 4つの側面から見えたチームの限界

片野道郎

アプローチを誤ったコスタリカ戦

比重を置いたイングランド戦では勝利を収めた。しかし、この結果がチームに緩みをもたらした可能性は否定できない 【写真:ロイター/アフロ】

 フィジカルという観点から見れば、多くのヨーロッパのチームと同様、ブラジルの気候に苦しめられた部分があったことは否定できない。初戦がマナウス、2戦目、3戦目も北部の暑い都市(レシフェ、ナタル)で13時キックオフという悪条件の下で、鳴り物入りで喧伝(けんでん)された暑熱対策も、十分な効果を発揮するには至らなかった。特にコスタリカ戦では、最後の30分で完全に足が止まっており、気候を苦にすることなく最後まで高いインテンシティーを保った相手との違いは明らかだった。ただしその影響度は、他の3つの側面と比べれば小さかったように思う。

 むしろ大きかったのはメンタルの側面。とりわけコスタリカ戦に関しては、アプローチを誤った部分があったように見える。というよりも、初戦のイングランド戦にあまりにも大きな比重を置き過ぎたあまり、続くこの試合に対する注意が相対的に軽くなってしまったと言った方が的確かもしれない。

 マナウスという高温多湿の環境で強敵と初戦を戦うという困難な状況に対して、イタリアは気候条件を再現するテントによる暑熱馴化(じゅんか)をはじめ、考え得るあらゆる準備をして臨んだ。そして試合は内容・結果ともに納得の行く形での勝利。少なくともマスコミをはじめチームを取り巻く環境においては、その時点ですでにひとつの大きな山を乗り越えたような空気が支配的になることは避けられなかった。その時にチームの内部がどんな空気だったかを知る術はない。しかしコスタリカ戦で思わぬ困難に直面した時に、試合を通してまったく反発できないまま終わったという事実を見ると、準備の段階から大き過ぎる重要性が与えられたイングランド戦の勝利が、多かれ少なかれ同じような弛緩(しかん)をもたらした可能性は否定できない。

敗退に値する戦いしかできなかったが……

 以上のように、どの側面から見てもそれぞれネガティブな要因があったことは明らかであり、その意味で敗退は必然だったということもできる。とはいえ、最終的に敗退が決まったウルグアイ戦の結果を左右したのは、ピッチ上のパフォーマンス以上に主審のジャッジだったこともまた確かだ。ハードではあるがフェアなぶつかり合いに特徴づけられたフィジカルで「マッチョな」(イタリアではこういう言い方をする)試合で、決して故意に削りに行ったわけでもないマルキージオのプレーに、突然反応して一発レッドを出した判定基準のブレは、百歩譲って受け入れるとしよう。しかし、ジョルジョ・キエッリーニの左肩に歯を立てたスアレス(しかし懲りない人である)の振る舞いを見逃したのは、どう考えてもアンフェアに過ぎると思う。

 繰り返すが、イタリアは敗退に値する戦いしかできなかった。これが11人対11人で最後まで正々堂々と戦った結果の敗退なら、もう少し後味は良かったと思うが……。

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著者プロフィール

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。2017年末の『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)に続き、この6月に新刊『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディとの共著/ソル・メディア)が発売。

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