風当りが厳しくなったホン・ミョンボ 02年キッズと挑む新しいドラマの始まり

転機となったパク・チュヨンの招集

風向きが変わりはじめたのはパク・チュヨンら所属クラブで出場機会の少ない選手たちの招集だった 【Getty Images】

 風向きが変わり始めたのは、パク・チュヨンを招集したときからかもしれない。就任会見で「所属クラブで試合出場していない選手は招集しない」としたはずなのに、その持論を曲げてまでアーセナルはもちろん、レンタル先のワトフォードでも出場機会を得れずにいたパク・チュヨンを招集したことで、一部のファンやメディアから「原則撤回」と揶揄(やゆ)された。かつて兵役回避問題が発覚して国中の非難を浴びたパク・チュヨンは今でもアンチが多く、ロンドン五輪時からそのパク・チュヨンの起用にこだわるホン・ミョンボ監督を世論は今でも理解できない。4月には細菌性皮膚感染症を患ったパク・チュヨンを帰国させ、国内でリハビリとコンディション作りに専念できるような環境を与えたホン・ミョンボに対して、「理解しがたい特別待遇。ホン・ミョンボはパク・チュヨンの親かエージェントなのか」という陰口も出回るようになった。

 また、パク・チュヨンだけではなく、パク・チュホ(細菌性皮膚感染症、マインツ05/ドイツ)、パク・ジョンウ(ハムストリング負傷、広州富力/中国)、キ・ソンヨン(右膝痛)など代表候補たちがシーズン終了を待たずに早期帰国して、代表スタッフの管理下で治療とリハビリに専念。ブラジル大会の最終エントリー直前だっただけに“ホン・ミョンボによる特別待遇”と皮肉られ、案の定、彼らはもちろん、ロンドン五輪メンバーが12名も最終メンバーに選ばれたことで、一部ファンたちの間でくすぶっていた不満が一気に噴出する。ホン・ミョンボは「ロンドン五輪のことは忘れた。競争の結果であり、経験も踏まえて選んだ」としたが、所属クラブで結果を残せていないパク・チュヨン、パク・ジョンウ、ユン・ゾギョン(QPR/イングランド)、チ・ドンウォン(アウクスブルク/ドイツ)、キム・チャンス(柏レイソル)らロンドン五輪組を選んだ。

 その一方で、Kリーグからは6名(フィールドプレーヤーは3名)しか選ばれないどころか今季Kリーグで大活躍中のキム・ミョンミンが落選したことから、ネット上では「公平な競争など最初からなかった」「監督の偏愛と特恵を受けた“同窓会”代表」「ホン・ミョンボのサッカーは人脈サッカー」と揶揄された。気づけば“カバン権”はなくなり、前述したようにチュニジア、ガーナと連敗したことでメディアも露骨に失望感を表すようになった。これが開戦前にホン・ミョンボを取り巻く現状である。

問われる「監督力」

 もっとも、ホン・ミョンボ自身はそうした揶揄にさらされてもブレることはない。現役時代からポーカーフェイスで有名だったが、監督になってもそれは変わらず、直近の強化試合で連敗が続いても動揺する素振りは見せない。

 ちなみに、その寡黙で無表情なイメージが強いホン・ミョンボだが、一度打ち解ければとても気さくな人柄である。日本語は今でも流ちょう。現役時代に一度カラオケに行ったことがあるが、サザンオールスターズの『いとしのエリー』を完璧に歌いこなしていて驚かされた。引退して指導者になってからも定期的に取材に応じてくれる。選手時代にはフース・ヒディンクの指導に触れ、05年からディック・アドフォカート監督のもとで韓国代表コーチとして指導者人生を始め、ピム・ファーベックの補佐役も務めた彼は言っていた。

「ヒディンクからは組織のリーダーたる振舞いを、アドフォカートからはコミュニケーションの重要性を、ピムからは練習方法やスカウティングで着目すべき点などを学んだ」。つまり、積み重ねてきた経験が彼の「監督力」の源になっているわけだが、今まさにホン・ミョンボの「監督力」が問われようとしているのだ。

「ホン・ミョンボ、4年前の岡田ジャパンから答えを探し出せ」(ネットニュース『stnスポーツニュース』)。

 ガーナ戦に敗れた直後、韓国のメディアでは10年のW杯南アフリカ大会直前の不振から立ち直った岡田ジャパンを引き合いに出す記事も出たが、正味1週間でチームを改造するのは容易ではないし、そもそもホン・ミョンボのサッカーは守り勝つスタイル。韓国の長所であるスピードと体力を生かして激しくプレッシングを仕掛け、攻守の間隔をコンパクトにしながらボールポゼッションを重視する試合運びを徹底してきた。先制された試合で逆転したケースも少ない。ブラジル入り後はほとんど練習を非公開にし、守備の連携確認に集中しているが、チームがガーナ戦で失った自信を取り戻せたかは未知数だ。

ピンチのときこそリーダーシップを発揮

ブラジル大会に挑む韓国代表のメンバーに02年の4強を知る選手はいない。4強進出の主役だったホン・ミョンボ監督とソン・フンミン(写真)ら“02年キッズ”たちの新たなドラマが始まる 【写真:ロイター/アフロ】

 ただ、ホン・ミョンボのカリマスはピンチのときこそ発揮されてきたのも事実である。例えば、現役時代に柏レイソルでキャプテンを務めた彼は、大事な試合前になるとチームメイトを行きつけの焼肉屋に集めて、自腹を切って決起集会を開くこともあった。本人は「日本の割り勘文化だけはなじめなかった」と謙遜していたが、ホン・ミョンボはチームを一枚岩にまとめ上げるのがうまい。ロンドン五輪時には選手たちにこんな言葉を投げかけてチームの結束を促している。

「私の心の中には常にナイフがある。君たちを守るためなら、ほかの誰かを傷つけても構わない。チームのために死んでもいいと思っている。君たちもチームのために死ねる覚悟を持ってほしい」

 韓国代表への信頼が失墜していた昨年7月に監督就任を決めたときも、「なぜ今、あえて代表監督に?」と問われると、「成功の秘訣は、良いときよりも悪いときに何をしてどう活用するかにある」と言い切った。人を動かしやる気にさせる魔力が、ホン・ミョンボにはあるのだ。その強烈なリーダーシップは、キャプテンとしてW杯ベスト4に導いたときから変わってはいない。

 あれから12年。W杯南アフリカ大会まではパク・チソン、イ・ヨンピョ、キム・ナミル、アン・ジョンファンらがいたが、今回のW杯に挑む韓国代表メンバーに02年W杯の経験者はいない。ファン・ソンホン、チェ・ヨンス、ユ・サンチョルらは監督になり、アン・ジョンファン、ソン・ジョングク、イ・ヨンピョは引退して解説者になった。代表復帰論が根強かったパク・チソンも今年5月に現役を引退した。韓国にとっては、3大会ぶりに4強戦士なしで挑むW杯だ。

 だが、キ・ソンヨン、ク・ジャチョル(マインツ05/ドイツ)、ソン・フンミン(レバークーゼン/ドイツ)など、02年の4強神話に刺激を受けた“02年キッズ”たちがいる。その“02年キッズ”を4強神話の主役だったホン・ミョンボが監督として率いて挑むW杯ブラジル大会。果たして、韓国サッカーの新しいドラマの始まりとなるか、それとも“永遠のキャプテン”がその名誉と信用を失墜させる無残な結果に終わるのか。運命のキックオフがすぐ目の前まで迫っている。

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著者プロフィール

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。著書『ヒディンク・コリアの真実』で2002年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書に『祖国と母国とフットボール』『イ・ボミはなぜ強い?〜女王たちの素顔』のほか、訳書に『パク・チソン自伝』など。日本在住ながらKFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)に記者登録されており、『スポーツソウル日本版』編集長も務めている

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