スター養成アカデミーが輩出した傑作たち コートジボワールの強さの秘訣に迫る
W杯戦士6人を輩出
コートジボワールにはトゥーレ兄弟をはじめ、スター選手を輩出するアカデミーが存在する。彼らはどのようにして成功をつかんだのだろうか 【Getty Images】
その贅沢さは、必然的に、エムプトの漁村の住民たちのスパルタ的なまでに質素な生活環境と、はっきりと対照を成している。ここ20年ほどの間に350人以上の見習いサッカー選手たちが、このセンターを通り抜け、そのうち6人が、ワールドカップ(W杯)ブラジル大会に向かうコートジボワール代表チームに入っている(コロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレ、ディディエ・ゾコラ、ブバカル・バリー、ジェルビーニョ、サロモン・カルー)。
1994年に元フランス代表選手ジャン=マルク・ギルーによって始められたこのアカデミーの理念は、この学校を、“チャンピオン製造所”にするというものだ。その初期に、早い場合は12歳からスカウトされたちびっ子スターたちの中には、ゾコラ、コロ・トゥーレ、アルナ・コネらがいた。
欧州へ続々と選手を送り込む
彼はいまだ、アカデミー参入の1年後に、合格の賞として受け取ったサッカーシューズのこと、カルシウム不足を補うために毎朝飲んだグラス一杯の牛乳のことを覚えている。「バキー(バカリー・コネ)以外の皆が牛乳を飲んでいた。そのせいで彼は背が伸びなかったんだよ」と彼は笑う。また、トーナメントに出場した際に稼いだ500CFAフラン(約106円)の商品券のこと、後にヨーロッパに向け旅立った日のことも忘れていない。彼は移籍金70万ユーロ(9700万円)で、ベルギーのゲンクに参入した。
「僕は欧州に旅だったアカデミー最初の選手だったから、失敗は許されないことだった」とゾコラは振り返る。それは、アカデミーでいまだ破られていない最高記録である140万ユーロ(約1億9400万円)でアンデルレヒト(ベルギー)に送られた、アルナ・コネの移籍に先立って起こった。それから、他の者たち(バカリ・コネやトゥーレ兄弟、続いてジェルビーニョら)が、輸出して良しと判断された同様の『生産品』として、先輩たちのあとに続く。それらの移籍は、何より、アカデミーがうまく機能するために必要不可欠なことだった。
アカデミーに感謝するヤヤ・トゥーレ
ヤヤはまた「あの学校が、すべてにおいて完璧に僕の面倒を見てくれていたことは、今後も決して忘れない。アカデミーは、僕のためにすべてを負担してくれた。(勉学の)学費、食べ物、サッカーの用具、そして下着まで」と話し、感謝の念をにじませる。「とはいえ、もちろん厳しくもあった。早朝、まだ太陽が昇りきらず、薄寒い時間に、フィジカル・トレーニングのために早起きしていたのを昨日のことのように覚えている。でもおそらく最も辛かったのは、仲間のひとりが、移籍を実現して欧州に旅立っていくのを見るときだった。一緒に暮らしていたせいで僕らは皆、兄弟のようだったから、それは毎回、胸を引き裂かれるような別れだった」
毎日、子どもたちは、10人余りの教師、5人のコーチの指導下で、教室(1日4時間の勉強)とトレーニング・グラウンド(1日3時間の練習)の間を行き来する。いまや30人ほどの選り抜かれた子どもたちを迎えるこのアカデミーで働き、出入りしている従業員はしめて130人だ。